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# プラトン『国家』#1-2 正義について(トラシュマコスとの問答) 先に見たようにケパロス親子は正義の本性に関する十分な定義を提示するにいたらないまま、三人目の人物である`トラシュマコス(Thrasymachus)`と非常に込み入った議論を展開する。そして彼らの議論は「国家」において重要な役割を担う。トラシュマコスの主張は正義とは強者や為政者が弱者を利用するための道具であり、彼らは弱者より満ち足りた人生を送るといったものである。先の親子の主張がノモス(nomos、法・規範)に基づくならば、彼の主張はピュシス(自然)に基づいたものであると言える。しかし、ソクラテスはまたしてもこの説明に難色を示し、正義はトラシュマコスがいうような強者や為政者の道具であるという主張を論駁しようと試みる。 ### トラシュマコスが提示する正義の定義 - (トラシュマコス) 正義とは、“強者の利益であり” (338c)、“支配者が制定した法に服従すること” (339c)である。つまり弱者は強者が決めた法に従い強者の利益のために身をささげることが正義である。 - (ソクラテス) しかし、強者も間違えることもあり、間違えることがあるということは自らの利益にならない法を制定することもある。よって、自らの利益にならない法に服従することが正義というトラシュマコスは認めたことになる。 - (トラシュマコス) 何かの専門家は決して誤ることはない、もし誤ることがあれば、その瞬間彼は専門家ではないと厳密に定義する。その上で支配者は支配することにおいて決して誤ることはない。 - (ソクラテス) トラシュマコスの厳密論に従って医者や船長は金を稼ぐことが仕事ではなく、病人の世話をしたり船乗りの世話をすることが仕事であるということをトラシュマコスに確認する。彼らの持つ専門の技術は他人のための技術であり、すなわち、技術が探求する利益とはそれが働きかける対象の利益にほかない。ということは支配者の支配という技術も自らの利益を目的としているのではなく、支配する対象の利益を考えているのである。 - (トラシュマコス) この正義の意味の反転に対しトラシュマコスは、羊と羊飼いの例を出し、羊飼いが羊を肥やすのは主人の利益のためである。すなわち被支配者にとって正義とは強者にとっての利益であるからして、それは“他人のにとって善いこと”(343c)なのであり、服従するものにとってはそれは損害に他ならない。不正な人は正しい人よりも得である。反対に不正なものである強者は他人を利用し自らの利益を追い求めるものである。「もっとも完全な不正とは、不正を犯す当人をもっとも幸せにし、逆に不正を受けるものたち、不正を犯そうとしないものたちを、もっとも惨めにするものだからだ。(344a)」そのため人は自ら進んで支配者になろうとする(\*1)。以下、「正義とはなにか」という問題から、「不正は正義より得か」という問題がメインになる。 **トラシュマコスの主張1**:不正な人は得で、正しい人は得ではない **トラシュマコスの主張2**:不正な人は知恵が長けた優れた人間であり、正しい人はそうではない **トラシュマコスの主張3**:不正な人は強く、正しい人は弱い ### ソクラテスの応答 1. 不正な人は得で、正しい人は得ではない (仮定:トラシュマコスの主張1) 2. 不正な人は知恵が長けた優れた人間であり、正しい人はそうではない (仮定:トラシュマコスの主張2) 3. 不正な人は強く、正しい人は弱い(仮定:トラシュマコスの主張3) 4. 正しい人は、自分と相似た人に対しては分をおかして相手をしのごうとせず、相似ない人をしのごうとする。また、不正- な人は、自分と相似た人に対しても、相似ない人に対しても、分をおかして相手をしのごうとする。(仮定\*2) 5. 自分が似ているものがいれば、お互いに同じような性格になるし、そうでないものは似ていない(仮定\*3, p83 349D) 6. 不正な人は知恵が長けた優れた人に似ており、正しい人は似ていない(from 2、5) 7. 知識がある人は、自分に似た他の知識がある人に対して分をおかして相手をしのごうとしない(、だが自分に似ない性格- の人にはそうしようとする。また知識がないひとは、自分に似た人に対しても反対の性格の人に対しても、分をおかして相手をしのごうとする)(仮定\*4, 括弧内は推測) 8. 知識ある人は知恵ある優れた人。(知識がない人は無知で劣悪な人)(仮定\*5 350B 括弧内は推測) 9. 知恵ある優れた人は自分と似た人に対して分をおかして相手をしのごうとせず、(また、自分と似ない性格の人に対して- はそうしようとする。そして、無知で劣悪な人は自分と似た人に対しても反対の性格の人に対しても、分をおかして相手をしのごうとする)(from 7,8) 10. 正しい人は知恵のある優れた人(徳を持つ人)に似ており、不正な人は劣悪で無知な人(悪徳を持つ人)に似ている- (from 4、9) 11. 正しい人は知恵のある優れた人で、不正な人は劣悪で無知な人である。(from 5、10 350C)(トラシュマコスの主張2の否定) 12. 正義は徳(優れた要素・アレテー)であり知恵であり、不正は悪徳であり無知である。(from 11) 不正は正義より強いか? 13. 不正は共同体のうちに不和と憎しみと戦いを作り出し、正義は協調と友愛をつくりだす(仮定\*6) (正しい人の中には神々を含まれるため、正しい人は神々に愛され、不正な人は神々の敵となる) 14. 正しい人のほうが、知恵においても徳性においても実行力があり、不正な人のほうは共同して行動を起こすことすらできない(\*7)(from 10、12) 15. 行動力があるほうが強く、ないほうが弱い(仮定(推測)) 16. 正しい人のほうが強く、不正な人のほうが弱い(from 14、15)(トラシュマコスの主張3の否定) 不正な人は得か? 17. 徳によって自らの機能(\*8)を善く果たし、悪徳によって劣悪に果たす(徳→機能が善く機能する&¬徳→¬機能が善く機能する)(仮定) 18. もし魂の機能(\*9)が善く機能すれば、人は善く生き、もし魂の機能が劣悪に機能すれば、人は劣悪に生きる(魂の機能が善く機能する→善く生きる&¬魂の機能がよく機能のする→¬善く生きる)(仮定) 19. 人は徳によって善く生き、悪徳によって劣悪に生きる(from 17、18) 20. 正しい人は徳を持ち、不正な人は悪徳を持つ(from 11) 21. 正しい人は善く生き、不正な人は劣悪に生きる(from 19、20) 22. 善く生きる人は幸せな人間であり、そうでない人は不幸である(仮定(\*10)) 23. 正しい人は幸福であり、不正な人は不幸である(from 21、22) 24. 幸福であることは得で、不幸であることは得ではない(仮定p354) 25. 正しい人は得であり、不正な人は得ではない(from 23、24)(トラシュマコスの主張1の否定) 以上によりソクラテスはトラシュマコスの主張を退けたかに見える。しかし、最初の「正義とはなにか?」という疑問にはまだ答えておらず、具体的に言及するのはまだあとになる(434E 以降)。 --- ## 注 プラトン (著)・藤沢令夫(翻訳)、『国家〈上〉』、岩波文庫、1979年 1. プラトン (著)・藤沢令夫(翻訳)、『国家〈下〉』、岩波文庫、1979年
First posted 2008/09/13
Last updated 2009/04/18
Last updated 2009/04/18
(ソ)正しい人は正しい人に対し正当な方法で相手を凌ごうとするか → (ト)しない
(ソ)正しい人は不正な人に対し正当な方法で相手を凌ごうとするか → (ト)するだろう、(しかし、決して凌ぐことはないだろう)
(ソ)不正な人は正しい人に対し不正な方法で相手を凌ごうとするか → (ト)する
(ソ)不正な人は不正な人に対し不正な方法で相手を凌ごうとするか →(ト)する
同じく音楽の心得がある人がするより多くのことを分をおかしてするか? →(ト)しない
(ソ)医術の心得がある人は、処方をだすとき
同じく医術の心得がある人より多くのことを分をおかしてするか? →(ト)しない