# 批判主義的傾向#1 新カント学派
## 新カント学派(Neukantianer)
1860年代になると、形而上学そのものに対し反省し、我々の認識そのものを検討する動きがはじまった。彼らは反形而上学を標榜することは実証主義と同じである。しかし、この立場は、唯物論を形而上学の一種であるとして実証主義的傾向には向かわずこれを批判する。このような、反形而上学的認識論・科学の基礎付けといった批判主義的傾向はカントの哲学と結びつき、そして、リープマンの「カントへ帰れ」をスローガンとする新カント学派は始まる。この哲学運動は人間の「理想・価値」を重視する価値哲学と呼ばれる。またこれは前期と後期の二期に分けられる。(ショーペンハウアー、ニーチェなどの非合理主義的傾向による生の哲学と対立)
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## 前期新カント学派
新カント主義の先駆者は、`ランゲ(Friedrich Albert Lange, 1828–1875)`、`リープマン(Otto Liebmann, 1840-1912)`である。ランゲは、唯物論は我々の意識を容認しないとし、唯物論を形而上学立場とすることによって、心理学的・生理学的立場から批判する。つまり、唯物論はあらゆる自然現象を物質の因果関係で説明するが、この因果関係とエネルギー保存の法則には意識現象が生じる余地がない。しかし、自然科学がもたらす世界の機械的な認識とは異なり、我々は感情や意志を有する。そして、それによって、世界の上に価値や理想を構築する。認識と理想は全く異なる領域であり混同し一元的に還元すべきではないという。ランゲはこれを唯物論の限界であるとし、あらゆる外的事物は意識に由来すると考えた。
- 著作
- リープマン『カントとその亜流』Kant Und Die Epigonen (1865)
- ランゲ『唯物論史』Geschichte des Materialismus und Kritik seiner Bedeutung in der Gegenwart (1866)
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## 後期新カント学派
前期のカント学派はカントの超越論哲学を心理的・生理学的に解釈したが、やがてカント研究が進むに従って、それは認識論的・論理的に解釈されるようになる。そして、この解釈から後期カント学派が始まる。この立場は、逆に心理的・生理学的立場を批判するようになる。後期カント学派は自然科学の基礎付けを行うマールブルク学派と歴史学の基礎付けを行う西南学派の二つに分かれる。
### マールブルク学派(Marburger Schule)
この学派には`コーエン(H.Cohen)` 、`カッシーラー(E.Cassirer)` 、`ナトルプ(P.Natorp)` 等が属する。マールブルク学派は、数学的・自然科学的認識を重視し、哲学をこのような認識を基礎付けようとした。彼等は、直感と思考の二元的対立を純粋思考に一元的に還元する。つまり、カントの「物自体」を形而上学として排除し、また、これやカントが純粋直感であるとした時間・空間もまた、数学的解釈に基づいて純粋思考に一元的に還元する。そして、これら直感などの一切の所与は思惟による「根源」(Ursprung) から`産出(Erzeugung)`されたものであるとする。そして、また、純粋思惟には、アプリオリな論理形式が内在されており(プラトニズム) 、したがって一切の知識をこの論理形式に還元する。そして、このアプリオリな論理形式によって自然科学の認識論的妥当性を正当化する。
このように、マールブルク学派は認識論を重視し、またこの認識論を支柱に様々な領域に展開する。例えば、コーエンは倫理学と美学といった規範的な領域も取り扱う。彼は、マルクスの唯物論を社会的ヒューマニズムに応用し、これは`シュタウディンガー`と`フォアレンダー`などの修正マルクス主義に影響を与える。また、コーエンは後期において我―汝の関係を研究し、これはブーバーなどに受け継がれる。ほかにも、ナトルプはこの認識論を相対性理論の解釈や心理学、教育学に適用し展開する。カッシーラーは、科学哲学に展開し、特に「産出」の概念を言語哲学に適用し、「シンボル形式の哲学」という現代の言語哲学の重要な源泉となる著を記す。`N.ハルトマン`はフッサールの影響を受け現象学へ向かう。
- 著作
- コーエン『純粋認識の倫理学』Logik der reinen Erkenntnis (1902)
- ナトルプ『精密化学の論理的基礎』Die logischen Grundlagen der exakten Wissenschaften (1910)
- カッシーラー『近世の哲学と科学における認識の問題』Das erkenntnisproblem in der philosophie und wissenschaft der neueren zeit (1906-20)
### 西南ドイツ学派/バーデン学派(Badische Schule)
この学派は、`ロッツェ(Hermann Lotze, 1817-1881)`の弟子である`ヴィンデルバント(Wilhelm Windelband, 1848-1915)`が創始した。代表者はほかに、`ラスク(Emil Lask, 1875-1915)` 、`リッケルト(Heinrich Rickert, 1863-1936)`等である。この学派は主に、カントやマールブルク学派が取り上げなかった歴史や文化といった文化科学の領域の独自性を主張し、これの基礎付けを行う。ヴィンデルバントによると、自然科学と歴史科学(文化科学) といった学問領域は、`法則定立的(nomothetisch)` と`個性的記述的(indiographisch)` という方法論で区別される。リッケルトは、この区別方法を`普遍化的方法(generalisierende Methode)` と`個性化的方法(individualisierende Methode)` として受け継ぐ。それによると、感性的世界といった自然科学の領域は、芸術・歴史・道徳といった文化科学の領域とは異なるが、両方の領域は経験的・非経験的といった全く性質を異にするものではなく、それぞれ経験の範囲内であるとした(カントは文化的領域は形而上学的で経験できない領域とする) 。ひとつの建築物を例に見ると、それを普遍的に取り扱うならば、それは自然科学の領域となり、それを個別的に取り扱うならば文化・歴史的な対象領域となる。
認識論(超越論的価値)
リッケルトはこの区別から、`全ての判断は価値判断(Beurteilungen) である`と結論する。なぜなら、建築物の例のように、同じ対象であっても、異なる捉え方(価値判断) によって異なった認識内容が表れるからである。そして、このように、自然科学と文化科学をおなじ地平に置くことによって、ふたつの領域を規定する「超越論的価値」が第三の領域として表れる(このプラトニズムはヴィンデルバントの師であるロッツェの影響) 。この価値領域を考察する学問を`形而前学(Prophysik)`と呼ぶ。このように、歴史や文化を個別的な価値とみなす立場は、社会を唯物論的弁証法という普遍的な法則のうちに見出そうとしていたマルクス主義と対立した。
- 著作
- ヴィンデルバンド『哲学史教本』Lehrbuch Der Geschichte Der Philosophie (1891)
- リッケルト『文化科学と自然科学』Kulturwissenschaft und Naturwissenschaft (1899)
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## 新カント学派のその後
この学派は空転した形式主義で重要な哲学的問題は無視した。そして、そのため新カント学派は一時期一世を風靡したが、この学派の代表人物がいなくなると、その勢力は衰え若手哲学者は独自の路線を歩む。そして、フッサールによる現象学が代わりに台頭し20世紀の哲学へ繋がる。
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## 参考文献
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岩崎武雄 (著)、『西洋哲学史』、有斐閣、1975
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岩崎允胤ほか (編集)、『西洋哲学史概説』、有斐閣、1986
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岡崎文明ほか (著)、『西洋哲学史 理性の運命と可能性』、講談社、1997
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杖下隆英ほか (編集)、『テキストブック 西洋哲学史』、有斐閣、1984
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原佑ほか (著)、『西洋哲学史』、東京大学出版会、1955
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ヒルシュベルガー, (著)・高橋憲一(翻訳)、『西洋哲学史〈2〉中世』、理想社、1970
1.
峰島旭雄 (著)、『概説 西洋哲学史』、ミネルヴァ書房、1989
First posted 2009/04/18
Last updated 2012/02/07