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# 認識論#2 内在主義と外在主義 ## 信念の正当化 伝統的な知識の定義によると、知識とは「正当化された真なる信念」であった。しかし、正当化とはなにかという問題がある。例えば、私は今日雨が降ると信じ実際に降ったとする。このとき、雨が降るという信念を支える理由や根拠を正当化という。しかし、どのような正当化は認識論的に認められ、どのうような正当化は認められないのか。これが、正当化の問題であり、認識論の中心的問題のひとつである。正当化に関する理論は大きく二つに分けられる。それは、内在主義(internalism)と外在主義(externalism)である。### 内在主義(internalism) 内在主義者は伝統的に、「知識とは正当化された真なる信念」(justified true belief)であると知識を定義する。サーモ君は気温に関する発言には、それを正当化する根拠・理由がない。そのため、それは、知識ではない。 #### 内在主義的な基礎付け主義(foundationalism) ある信念Aは信念Bによって正当化されるとする。しかし、その信念Bもまた、信念Cに正当化される必要がある。そのため、この正当化の過程は無限遡行に陥る(信念A←信念B←信念C・・・・)。基礎付け主義はその名のとおり、この遡行をとめるために、正当化の基礎(basic belief)を探求する(信念A←信念B←信念C・・・・←基礎的信念)。基礎的信念の条件は、 1. それ自身によって正当化されており、 1. 他の信念に正当化を与えるものでなければならない。 このような信念は不可謬で自明なものでなければならない。 #### ・内在主義的な基礎付け主義の失敗 この立場の代表者はデカルトである。彼は、「われ思う故にわれ在り」という命題から、「考えるわれ」(コギト)という知識の絶対的基礎を見出いだと考えた。つまり、デカルトは、主観性のうちにあらゆるを正当化する自明な信念が内在されていると考える。しかし、コギトは、自己正当化された自明なものであるが、基礎的信念のもう一つの条件である、他の信念に正当化を与えることはできるのだろうか。内在的で主観的な確実性が外部世界に関する知識を正当化することはできない。この独我論から抜け出すために、デカルトは神の存在証明を行い、我々の外部に関する知識の確実性を保障させた。つまり、自明なものとして見出したコギトのうちには、絶対的な存在である神という観念がある。このような生得観念は神が与えたものである。従って神は存在する(人性論的証明 )。しかし、コギトという確実なもののうちに神を見出し、神によって確実性を保障するというのは循環している。 他の基礎的信念候補として、論理的真理がある。例えば、A=Aというトートロジーは、絶対的真理であり、それ自身で正当化されている。しかし、このような論理的真理は、自明で不可謬であるが、それゆえ、情報を一切持たない。この情報量0のもので他の信念を基礎付けることはできないため、論理的真理による基礎付けも失敗する。
### 外在主義(externalism) 内在主義は、信念を正当化する際にその理由を内在すなわち心の内に求め、そして、失敗した。内在主義は、過度に完璧な正当化を追求していたためもともと不可能な試みであったといえる。そのため、この失敗を踏まえて、信念の正当化の理由を外在に認める。この立場は外在主義と呼ばれ、これは世界とその信念の間に「法則的な関連」(lawlike connnection)(\*1)が成り立っているならば(例えその関係に内在的な認知アクセスがなくとも)、この信念を正当化する理由になりえるだろうとする。 - すべての結核に掛かった人は、ツベルクリン陽性反応だった(結核に掛かった人→陽性反応) - すべての生徒会長→苗字が二文字(生徒会長→二文字) 前者は反時事的想定に耐えることができるため法則的連関と言えるのに対し(Aさんは結核に掛かっていが、もし掛かっていたならば、陽性反応がでただろう)、後者は反事実的想定に耐えることができないため単なる規則性である(佐々木さんは生徒会長になってないが、もし生徒会長になっていたならば、苗字が二文字になっていただろう、とは言えない)。 #### ・信頼主義(reliabilism) 代表的な外在主義である信頼主義においては、この法則性を「信頼できるプロセス」と置き換えられる。「PであるというSの信念は正当化される⇔PであるというSの信念は、信頼できるプロセスから生み出される」。例えば、部屋の温度と温度計には法則性がある。部屋の温度が10度だったら温度計は10度を表示する。そして、もし部屋の気温が20度だったら、温度計は20度を表示する。そのため、温度計を見て部屋の温度に対する信念を持つことは、信頼できるプロセスから生み出されており、したがって、その信念は正当化されているといえる。 --- ## 注
- \*1. 法則的な関連とは、「反事実的想定を支えることできる」[3, p.54]ことをいう。
First posted 2009/08/21
Last updated 2011/03/04
Last updated 2011/03/04