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# ラッセル「表示について」#1 確定記述の分析 「指示」の概念は言語哲学において非常に重要な位置を占めている。 なぜならば、指示は言語と実在を媒介する概念であるからである。 言語で指示の役割を担うのは、`名前(固有名・一般名)`と`記述(確定記述・非確定記述)`である。 そして、ラッセルの形式論理学で定式化した記述の理論が言語哲学におけるひとつの重要な出発点となった。 ## 空の指示という問題 初期の言語哲学において、言語の指示における明白なパズルがいくつか存在した。そのひとつが、`空の指示(empty reference)`と呼ばれるもので、例えば、`現在のフランスの王は禿である(the present king of France is bald)`という文における「現在のフランス王」はこれが指示する対象が現実に存在しない。このような指示を空の指示と呼ぶ。 ラッセルによると、指示句を含む文は「真」もしくは「偽」であるが、このような指示対象が存在しない文は真偽の判定ができない。 なぜなら、仮りにこれを偽としよう。 その場合、「現在のフランス王は禿ではない」を意味し、つまり、存在しないはずの「現代のフランス王」に髪の毛が生えてることになってしまう。 仮に、真とすると現在のフランス王の実在を認めることになりこれは現実と矛盾する。 - **マイノングの対象説** この問題に対して、`マイノング(Alexius Meinong Ritter von Handschuchsheim、1853–1920)`はそのような空の指示をなくすためにその表現が指示する先に実在を与えた。そして、「ペガサス」も「現在のフランス王」も「丸い四角形」もそのままの意味で本物の事物を指示するとした。つまり、彼は空の指示という問題に対して形而上学的な実在をその指示する先に想定してこれに応答する。 - **フレーゲの意味と意義説** フレーゲは、固有名における`意味(Bedeutung)`と`意義(Sinn)`を分ける。意味は、固有名の指示対象であり外延である。意義は内包的に含意しているその語の意味である。フレーゲの説で空の指示問題に答えると、意味(指示対象)は存在しないが、つまり、空を指示するが意義(Sinn)を有する記述となる。また、フレーゲにとって確定記述も固有名も共に「単称名」という同一のカテゴリに属し差別化されていないという点も重要である。 ## マイノング、フレーゲから記述理論へ `「数学の諸原理」(1903)`の頃のラッセルは極端な実在論者だった(更にその前はヘーゲル主義者で極端な観念論者だった)。 彼もマイノングのように言語が指示する対象は客体であるとした。 それは、彼が語の意味とはそれの指示対象であり、すなわち、有意味な語は指示対象を持つとする実在論的な意味論を採用していたからである。 そして、固有名は具体的な指示対象をもつが、それ以外の語(つまり、表示句)の指示対象とは「概念」であり、形而上学的対象であるとする。 例えば、「a man is old」における「a man」が指示するのは現実の対象ではなく概念である。 この考えでは表示句が表示してのもその概念である(例えば、「the prime number」は素数という概念を表示している)。 「of, and, the」などの接続詞や前置詞もまた、このイデア的対象を指示しているとした。 しかし、ラッセルはマイノングが認めるような「丸い四角形」といった矛盾的な存在を認めなかったため、この極端な実在論は放棄する。 そして、次に`「命題の存在論的含意」(1905)`においてラッセルはフレーゲの立場を取る。つまり、語は`意味(meaning)`と`意義(denotation)`を持つものとする。 しかし、フレーゲの理論には、意義が意味を決定するという原則がある。 そのため、空の指示を、意義があるのに意味が欠けている表現とすると、この原則に反するという問題がある。 ラッセルは、これらの理論を踏襲して、自らの記述理論に至る。それは、述語論理の量化記号を用いて確定記述を命題関数(述語)に分析して(文脈的定義)、確定記述自体を消去するというものである(\*1)。フレーゲは確定記述と固有名を差別化しなかったが、記述理論はこれらを明確に隔てる理論である(\*2)。 そして、これによって、確定記述は空の指示という問題を明晰に解決する。ラッセルの記述理論が評価されたのは、空の指示問題を含むいくつかの指示に関する問題に形式的な回答を与えたためである。 - **マイノングの立場**(空の指示対象は存在する) - **フレーゲの立場**(空の指示は空を指示するが意味を有している) 現在のフランス王は禿である=φ - **ラッセルの立場**(記述を分析して二値原理を適用) there exits x s.t. 現在のフランス王は禿である(x)=偽 ## 記述理論(Theory of Descriptions) ラッセルは`「表示について」(On denoting)(1905)`において、「ある人」、「全ての人」、「現在のフランス王」、など(some, a, no, every, theなどを含む句)を`表示句(denoting phrase)`と呼び、これらを量化論理で分析しこれら含む文は複数の命題関数が合成されたものとする。 そして、その表示句を構成する個々の命題関数の真偽をチェックすることを可能にする。この記述理論によって、マイノングやかつてのラッセル自身の指示対象の形而上学的実在という考えを回避することができた。<表示句の例>### 非確定記述 some F, every F 表示句を非確定記述(some, everyなど)と確定記述(the)に分け、まずsomeなどの非確定記述がどのように論理式で表現されるのか見る。 1. ある$x$が存在し、それは$F$である。 $∃xF(x)$ 2. $F$であるような全ての$x$は、$G$である。 $∀xF(x)$ #### an F is G 例えば、「An F is G」という文は次の2つの論理式に分析できる。 そして、この2つの論理式の連言から - $∃x(F(x)\wedge G(x))$ という論理式が 「An F is G」という非確定記述を含む文に対応する論理式となる。 記述理論ではこのように文を意味を量化記号を用いて形式的に明らかにする。 ### 確定記述 the F 表示句の中でも「その人」(the man)などの「the」(\*3)を用いて特定の個物をさす表現である「確定記述(句)」を含む文@については、対象の唯一性を含意している。 この唯一性を論理式で表現すると以下の3になる。例えば、「The F」は、1の存在条件に加えたつぎの2つの論理式の連言として解釈できる。 1. $∃xF(x)$ 存在条件 3. $∀x(F(x)→∀y(F(y)→x=y))$ 唯一性条件 これらの条件は$F$を充足する対象が存在しかつそれは唯一であることを意味しており、対象が複数存在する場合は偽となる(\*4)。例えば、「ハムレットの作者は英国人である」という文@で、実は作者が二人以上いたら 唯一性条件と矛盾するためこれは偽になる。そして、1と3の連言は次の論理式を同値である: - $∃x(F(x)\wedge ∀y(F(y)→x=y))$ この論理式が真であるとき、$F$を充足する対象が唯一存在する、つまり、$\\{a\\}=\\{x\mid F(x)\\}$。 そして、この$F$を充足する唯一の$a$をイオタ記号(前原昭二『数学基礎論』p59参照)を使って表現すると$\iota xF(x)$と表せる。 このように確定記述を含んだ文@「The F is G」を論理式で表現すると - $G(\iota xF(x))$ となる。これは、次と同値である。 - $∃x(F(x)\wedge ∀y(F(y)→x=y)\wedge G(x))$ - $\bigwedge\\{∃xF(x) , \\\ \quad \forall x(F(x)\to ∀y(F(y)→x=y)),\\\ \quad \forall x( F(x)\to G(x))\\\ \\}$ 分析することによってこの文章の意味が明確になる(\*5)。 つまり、ラッセルによると、確定記述とは固有名のようにある対象を直接指示しているのではなく、特定の条件によって対象を一つに絞りこんでいる、つまり確定記述はある特定の対象を指示ではなく`表示(denotation)`しているのである。 --- ## 注
a man, the man, every man, no man, any man
- 非確定記述(a man, every man)
- 確定記述(the man)
- \*1. ラッセルはフレーゲが言うように命題(proposition)を構成する語句はある指示対象もしくは意味をもつということには同意するが、それら意味の統合体である命題もおなじように指示対象をもつとはしない。彼は表示句を含む命題を分析して複数の文@関数が合成されたものであるとする。
- \*2. 固有名は後に探求されて論理的固有名と呼ばれ、それは「これ」や「ここ」といった直示的表現である。また、一般的な意味での固有名は、省略された記述であるとする。
- \*3. 複数系に使われるtheやthe man is mammalといった総称に用いられるtheはここでは無視される。
- \*4. 英文だと「At most one thing is F」となる。
- \*5. 記述理論は「nobody」という表現も量化子に還元するため、この指示対象を想定するという問題も回避できる。「I saw nobody」¬∃xSaw(i,x)
First posted 2011/03/17
Last updated 2011/04/17
Last updated 2011/04/17