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# 中世哲学史#1 教父神学 中世はおよそ、500年頃からローマ・ギリシャ文明が衰退し、ゲルマン民族が台頭し始めてから、1500年頃のルネサンス期までの期間を指す。この期間に多くのヨーロッパ文化が形成された。 同時に、ペスト、教会の言論弾圧、魔女狩り、などにより暗黒時代というイメージを持たれる時代でもある(ただしほとんどが誤解に基づいたイメージ)。 --- ## アレクサンドリア学派 ギリシャ哲学から中世のキリスト教神学への移行段階に新プラトン主義があるが、 これに加えてエジプトのアレクサンドリアにおけるユダヤ教神学があった。 これはユダヤ教徒がギリシャ哲学を取り入れて教義を理論的に基礎づけようとした学派だった。 ### フィロン (Philon, 前20年頃-45年頃) ユダヤ教の理論化。彼はヘレニズム時代の哲学を神学の基礎に利用しようとした。 自然現象の説明にはストア哲学を、神の理解には新プラトン主義の「一者」やプラトンの善と同化させようと試みた。 彼が言うには、イデアは、神の精神(ロゴス)に内包され神はこのロゴスを通じて世界を創造する。 --- ## グノーシス主義 二元論的世界観を教義の根底に置き、この世は暗黒で天井の国(イデア界)は光であるとした。 「グノーシス」はこのような傾向や哲学思想を共有する立場の総称で、マニ教が代表格として挙げられる。 この立場は、知を探求し哲学的認識(グノーシス)を得なければ、信仰は不可能であるとし、 神に対し懐疑論的な方法でもって信仰に到達しようと試みる知を重視する立場である。 そして、キリスト教でグノーシス思想に傾倒する立場は「グノーシス主義」としばし呼ばれる。 この主義は「この世」を創造神デーミウルゴスが作った悪(コピー)の世界、「イデア界(あの世)」を善の世界とした。 しかし、この考えは旧約聖書の「善なる神が創造したこの世は善である」というキリスト教教義と対立するため異端とされた。 --- ## 教父神学 (Patrologia) 中世の哲学は主にキリスト教教義の理論化に重点を置いた。 キリスト教の信仰をどのように傷つけずに、知という相反する概念を確立、もしくは信仰と調和させるかを主眼に置いた。 つまり、中世(特に中世初期)はキリスト教神学の時代である。 そしてこの神学的特徴を持つ哲学に取り組み発展させたのも、もちろんキリスト教徒であり彼らは教父と呼ばれ、 そして、それを教父神学と呼ぶ。興味深いのはグノーシス主義とテルトゥリアヌスら教父における知と信の対立の構造であり、それを調停したアウグスティヌスであった。 ## ギリシャ教父 ### ユスティノス (Iustinus, 100年?-165年) 人間がいままで理性によって到達した真理は、「種子的ロゴス」に起因する。そしてロゴスとはキリストであると考えた。 ### クレメンス (Clemens, 150年頃-215年頃) グノーシスに対抗しつつ、反知によってグノーシスを退けようとしたキリスト教の反知性主義者にも反対した。 彼が主張するには、善である神が与えた認識能力は善であるので、信仰に哲学的認識は必要ないが、信仰によって得た真理は知的認識によって練磨される。 ### オリゲネス (Origenes, 185年頃-254年頃) 彼はギリシャ哲学がキリスト教と多くの点で一致することを認めるが、質量と形相の二元論を否定した。 彼は、神は最初人間を純粋な魂のみの存在として創造したが、魂が犯した罪に応じて質量の中に落ちたという。これはキリスト教義に反し、グノーシス主義に近いように見えるが、グノーシス主義が質量獲得を堕落と考えたのに対し、彼は神が人間に与えた試練であるとした。 そして、いずれ魂は神の元へ帰還するという。万物の回復(アポカタスタシス)の説。 ### (偽)ディオニュシオス・アレオパギタ (Pseudo-Dionysios Areopagita, 推定5-6世紀ごろ) 彼は、正確には教父ではなくアテネ宣教師ディオニュシオスの名をペンネームに用いて『ディオニュシオス文書』を記したため長らく本人と誤解されていた。 今では本人と著者を区別するために(偽)と冠される。著者本人に関してはまったく不明。 彼はクレメンス、オリゲネスらの影響とともに新プラトン主義から強く影響を受けており、万物の根源である神(一者)について語るときは、比喩的な象徴(光、善、美など)によって名指せると考え、この象徴によって、我々は神を認識できる万物の起源として肯定的に語れる(肯定神学)。しかし、他方、神は我々が認識できる特徴を一切持たない存在であると否定的に語れる(否定神学)。そして、この認識できない神へは、無知を通して、また、「浄化」と「照明」を通して、近づき神と一致することが究極的な目標であるとした。 ## ラテン教父 ### テルトゥリアヌス (Quintus Septimius Florens Tertullianus, 155年?-220年以降) 神は我々の理性を超越している存在であるから信じるしかない。「非合理だからこそ私は信じる」。信を重視する主義。グノーシス主義とは対立関係にあった。 ### ボエティウス (Anicius Manlius Severinus Boethius, 480年-525年頃) 彼は最後のローマ人と称せられるキリスト教的プラトン主義者だった。彼はアリストテレスの論理学の翻訳と構成に多大な影響を与えた。また、彼は陰謀により死刑を宣告され、そして、その獄中で書かれた『哲学の慰め』において、哲学を体現する妃との対話形式で自由や幸福に関する自らの思想を描いた。 自由意志 神が過去・現在・未来を知っているのであれば、我々に自由意志は存在するのか。この問題に対して、ボエティウスは、同じ事柄でも知る者によって違って知られるということに注目する。つまり、太陽という対象を、犬は視覚や触覚などの知覚によってしか知りえないが、人間は天文学や物理学的に知りうる。これと同じように、神は未来を含むすべての時間を知っているが、我々にはそれを知りようがないため、自由意志は担保されうる。 幸福 幸福は外的な善の中でも、またこの世のせいでもない。これはただ完全な善である神において求めるべきであり、世界を統治する神の摂理を信頼すべきである。
  • 著作
  • 『アリストテレスのカテゴリー論』(In Categorias Aristotelis) 509–511
  • 『哲学の慰め』(De consolatione philosophiae) 1491, 1871(完全版)
### アウグスティヌス (Aurelius Augustinus, 354年-430年) 彼は新プラトン主義から強く影響を受けたキリスト教的プラトン主義である。彼によると、人間の魂(animus)は神(Deus)から生まれ、神に回帰することが人間にとっての幸福(beatitudo)である。「神の探求」には「懐疑論の論駁」と「真理(veritas)の探究」が不可欠である。 懐疑論駁(アカデメイア派論駁) 彼はまず真理を確立するために、矛盾律と排中律を用いて必然的に真である命題の明証性に基づいて、すべてを否定する懐疑論を乗り越える。もし、ひとつの太陽しかないならば、ふたつの太陽はない。同じ魂が同時に死に、かつ、不死であることはない。 真理の探求(照明論) アウグスティヌスはデカルトのような実体二元論者で魂も実体を持つ存在であると考え、思惟し身体を支配するものであると考える。その証明法も「私が誤るなら、私は存在する」というもので、デカルトのコギトの明証性証明と類似しているため、デカルトの先駆者として考えられている。 では、どのように我々の魂は真理へ到達できるのか。アウグスティヌスもプラトンのように、この可変的な感覚世界には真理(イデア)は存在しないと考えた。しかし、我々は正方形を思い浮かべられるように、イデアが魂のうちに意識を超越して自立して内在し、認識の基準にできる(真理の光が物事を照明することによって判断が可能になる)。真理は、もともと理性に内在しており、自らの魂を内観(記憶を探求)することによって、魂は真理に触れることができる。そうすることによって我々の精神が外的な物事の基準になるイデアもしくは「理念」(ratio)を想起する(理性の内奥に閉じ込められた記憶を呼び起こす)。これが学ぶという意味である(プラトンの想起説と類似)。
外へ出て行くな。あなた自身の中に帰れ。真理は内的人間に住んでいる。そして、あなたの本性が可変的であることを見出すなら、あなた自身をも超えなさい。『真の宗教』, 要引用箇所
また、このように内的な真理が存在するということはそれを授けた神がいるはずであるとする(自然神学的証明?)(グノーシスとテルトゥリアヌスの調停)。 魂は真理から創られ、また「真理に向けて」(ad veritatem)上昇するように創られた。そのため、愛は幸福を求めるがそれは自己中心的なものではなく、真理を得ることによって得られる幸福である。自己の存在の認識→自らの思惟の認識→その思惟が真であることの認識→思惟を可能にしている真理への帰還(=幸福)。また、真理は外的なものから教えられることは無く、自己内省し、自己の記憶において存在する根源的知の中にアプリオリに所持している。これら諸真理はすべての人間共通で(相互主観的な妥当性を持っている)、したがって人間共同体の成立を可能にしている。 三位一体論(神の探求) キリスト教の教義は神が三つの位格(ペルソナ、persona)において存在している。すなわち、父・子・聖霊である。また、神は人間を自分の似姿として創造したのだから、人間の精神にもその三つの統一された根本的活動が内在しているとアウグスティヌスは考えた。それはすなわち、魂は自分を記憶し(根源知 se meminisse)、自分を知り(明確な認識、知解、内的な言葉、se intellegere)、自分を愛している(前の二つを結合し、真理を愛し肯定する意思、se amare)(記憶→自己知→意思)。これが、神の似像である。ここでは、神を無自覚もしくは自己を通して間接的に愛しているが、次に、自己に向いていた愛が自覚的に神に向かうことによって、転倒していた三一性が回復し、「真の神の似像」が現出するという。 なぜ悪は存在するのか 絶対善である神が作った世界になぜ「悪」は存在するのか?アウグスティヌスは、この問題に対して、悪は存在ではなく「善の欠如」である、とする(そのため善悪二元論を採用するマニ教を批判する)。従って、神は悪を創造したりはしない。なぜ神は欠如がある世界を創造したのか?という問いに対しては、人間という理性的存在者を創造する際に、人間に自由意志を与えないわけにいかなかったからである、と考える。この自由意志は、悪(善の欠落)を選択する可能性を有している。また、被造物のなかに不完全性(悪)があるのは、不協和音がハーモニーに必要な音でありうるように、全体の秩序に欠かせない要因だからである。しかし、彼の悪の理解では災害などの自然悪を説明できないと後に批判される。 社会 物質には過去も未来もないが、人間は、過去・現在・未来という時間を生きる。そのため、時間は人間の意識に存在する。神が存在を無から創造し、被創造者が時間を創造する。このように被創造者は過去(流れ滅びるもの)と未来(前進する方向)を持つ。これらは人間の意志の中で諸悪へ執着(地上の国)と永遠なるものへの愛という形(神の国)で現実化する。
  • 著作
  • 『告白』(Confessiones) 397-400
  • 『神の国』(De civitate Dei) 413-426
--- ## 参考文献 1. Wikipedia. グノーシス主義. (最終アクセス 2013/09/03) 1. 岡崎文明ほか (著)、『西洋哲学史 理性の運命と可能性』、講談社、1997 1. 小林一郎 (著)、『西洋哲学史入門』、金港堂出版部、1998 1. 中川純男ほか (編集)、『中世哲学を学ぶ人のために』、世界思想社、2005 1. 貫成人 (著)、『図解雑学 哲学』、ナツメ社、2001 1. リーゼンフーバー, K. (著)・村井則夫(翻訳)、『西洋古代・中世哲学史』、平凡社、2000
First posted   2008/09/21
Last updated  2012/03/19

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