# 近代哲学史#5 ドイツ観念論
カントの哲学が継起となりドイツ観念論は発足する。その代表者はフィヒテ、シェリング、ヘーゲルである。また、カント自身をドイツ観念論の系譜に加えるかどうかは微妙なところだが、ここではその始祖として合理主義やドイツ啓蒙主義ではなくドイツ観念論に加える。
### カント(Immanuel Kant, 1724-1804)
カントは、従来の哲学史の解説によると、経験論と合理論の哲学の二つの支流を合流させるという哲学史において重大な転機をもたらした(このようなカントの哲学史の位置づけを見直す動きもある)。彼は、人間理性を批判的に考察しその射程と限界を明らかにしようとした。つまり、知識が学問的なものであるための条件と、またそのような条件下で「神」や「魂の不死」といった伝統的な形而上学的な概念は学問的と言えるかどうか批判的に見直した。これは超越論的哲学と呼ばれ、またその傾向ゆえにカントの哲学は批判哲学とも呼ばれる。
#### 純粋理性批判
アプリオリな総合判断
それまでの哲学者は、アプリオリな分析判断とアポステリオリな総合判断と判断をふたつしか認めなかったが、カントは三つ目のアプリオリな(超越論的、先験的)総合判断を加える。それは、例えば、原因と結果、時間と空間などの認識は、客観的に存在しているわけではなく、我々人間の超越論的な主観によって提供される。彼自身それを哲学における「コペルニクス的転回」と呼ぶ。
[アプリオリな認識判断]()
感性論・分析論
カントはアプリオリな認識判断を根拠付けるために、認識をもたらす`感性(Sinnlichkeit)`と`悟性(Verstand)`においてそれぞれアプリオリな原理を探求した。それらはそれぞれ、`超越論的感性論`と`超越論的分析論`と呼ばれる。前者においてのアプリオリな形式は時間と空間であるとし、後者のそれは`純粋悟性概念(Categorie)`がもたらすカオス的多様を理解可能な表象にする超越論的な制約であるとする。また、このようなアプリオリな原理があらゆる数学や力学などのアプリオリな学問を可能にする反面、この主張は超越論的観念論であり、我々は現象としての世界を直観するのみで、決して、`物自体(Ding an sich)`には到達できないという消極的な帰結も導かれる。
弁証論
カントは弁証論において、伝統的形而上学が対象とするものは「理性」が感性の制約を超えて対象化された`理念(Idee)`であり超越論的仮象であるとする。そして、それら学問の対象としてはふさわしくないと批判的に見直す。それぞれの議論は、`誤謬推論(Paralogism)`、`二律背反(Antinomie)`、`理想(Ideal)`と呼ばれる。
[超越論的感性論]()
#### 実践理性批判
「第二批判」でカントは道徳に関する議論を展開する。理論理性は、「第一批判」で議論されたようにそれ自体の起源とは異なる感性の条件に依存しなければならず、また、物自体にこの理性の能力は介入することはできない。これに対して、実践理性は、情念的な行動の誘惑を打ち負かすだけでなく、行為する意思を規定するという自律性(Autonomie)を持つ。この「自由」が道徳律の基礎をなす。しかし、自由意思の法則が恣意的にならぬようにカントは二つの道徳律を定立する:
- 汝の意志の格率(主観的原理)が常に同時に普遍的法則として妥当するように行為せよ。
- 他の人を常に手段としてではなく目的(人格)として扱え。
前者は道徳の普遍性に関係する。私が「嘘をつくべからず」という格率を有しているならば、これを普遍化することで他者にもこの命題を要求することができる。後者における他者を目的として扱うとは、仮言命法「もし~であるならば、~すべし」という条件付きの命令である。例えば、「私が募金を行うのは、名声を得られるからである」といった行為を手段として自分の利益を目的とするようなことである。しかし、このような仮言命法ではなく、他者それ自体を目的として扱うべしとカントは言う。つまり、定言命法「~すべし」という条件無しの理性の命令である。これに従うことで自らも他者に目的として扱われることが期待できるのである。これらの道徳律を基礎にした人間関係からなる世界をカントは「目的の王国」と呼び道徳の理想郷を構想した。
#### 判断力批判
美や崇高などの芸術体験に関する議論
- 著作
- 『純粋理性批判』Kritik der reinen Vernunft (1781)
- 『実践理性批判』Kritik der praktischen Vernunft (1788)
- 『判断力批判』Kritik der Urteilskraft (1790)
- 『人倫の形而上学の基礎づけ』Grundlegung zur Metaphysik der Sitten (1785)
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### ヤコービ(Friedrich Heinrich Jacobi, 1743-1819)
カントの哲学はドイツ中に大きな衝撃を与えた。そして、それ以降のカントの哲学に端を発しドイツ観念論が発展する。しかし、その前にまず、これに批判的な視点をもたらしのが、ヤコービである。彼は、カントの批判哲学のアンチテーゼ的立場である`信仰哲学(Glaubens philosophie)`を提唱する。彼はスピノザ主義者で、もし哲学的思案を続けるならば、必ず無神論的決定論に陥るとする。なぜなら、究極的な知の根源は神であるが、しかし、神自体を根拠付けることはできない。なぜなら、神は論証ができないというのをその本性としているからである。そして、その無神論を回避するためには、根拠と論証を放棄する信仰(Glaube)によって信念(Furwahrhalten)といった認識を得る必要があるという。
カントは理性を「理論的理性」と「実践的理性」とに分離した。そして、これらを総合する知の究極的根拠としての「絶対知」(das absolute Wissen)(=神)を探求する運動がドイツ観念論である。ドイツ観念論の代表者は、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルである。
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### フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte, 1762-1814)
フィヒテにとっての「絶対知」とは`知についての知(eing Wissen vom Wissen)`、つまり「自己知」、もしくは`絶対自我(absolutes Ich)`である。つまり、現実と思われる全てを創造するのは「私」である(観念論)。絶対自我が「自我」を対象化することによって、他のあらゆる「非我」(Nicht-Ich)(=客体)に対する知(「あるものについの知」)と同じように、自我を知る。
このような知識の成立の根拠である「絶対自我」を、自己定立作用である「事行」(Tathandlung)を根底において、次の三つの原理(定立Setzen-反定立Gegensetzen-総合)にまとめる。
- 第一原理(定立):「自我は自我を定立する」
- 第二原理(反定立):「自我は自らに非我を反定立する」
- 第三原理(総合):「自我は自我において可分的自我に可分的非我を反立させる」
こうして、自我と非我を絶対自我のうちに回収することによって、カントが分断した実践的自我と理論的自我を纏め上げ「主観的観念論」を提唱する。
[フィヒテの哲学]()
- 著作
- 『全知識学の基礎』Grundlage der gesamten Wissenschaftslehre (1794)
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### シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling, 1775-1854)
前期シェリング
彼の哲学は、フィヒテを原点としていると同時にフィヒテが絶対知を「自我」としたのに反対し、絶対知は「自然」であるという。シェリングの自然は力学や物理学などの無機質な自然ではなく、有機的な自然であり、それがフィヒテのいう自我、つまり自然と精神(自我と非我、主観と客観といったカント的二元論)が分裂する以前の完全な「無差別(Indifferenz)」、絶対的同一性としての絶対者([独]das Absolute)であるという(スピノザの神?)。そのため、彼の哲学を`自然哲学([独]Natur philosophie)`、また自然と精神の同一性を自らの哲学の原理とするため`同一哲学([英]Identity Philosophy)`とも呼ばれる。加えて、この自然哲学は熱力学の「複雑系」に通じる考えであるという。
しかし、いかにしてこの自然という絶対者から差別や有限者が出てくるのか、またいかにして主観的なものと客観的なものの間に同一性を見出すことができるかが問題となる。シェリングはこの絶対者、同一性「芸術直感」によって捉えることができると考えた。シェリングにとって客観的妥当性である「知的直観」を与えられている唯一のものが芸術であった(ロマン主義の影響がある)。このような点から彼の哲学は、先験的観念論から「客観的観念論」というスピノザ主義に向かう。
後期シェリング
後期シェリングはヘーゲルなどの以前のあらゆる哲学を`消極哲学([独]negative philosophie)`と批判し、自ら`積極哲学([独]positive philosophie)`を唱えた。また、意志を根源的なものと考え、絶対者の述語である無根拠性、永遠性、自己肯定などは意志の述語であるとし、自然の根底に暗い衝動としての自己意志を想定した。この思想はニーチェに大きな影響を与えた。
- 著作
- 『自然哲学論考』Ideen zu einer Philosophie der Natur (1797)
- 『世界霊について』Von Der Weltseele (1798)
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### シュレーゲル(Friedrich von Schlegel, 1772-1829)
哲学を哲学するメタ哲学を行った。西洋哲学の基本的な方法論である、第一原理から論証を開始するという単線的な論証方法に疑問をもった。彼によると哲学には最終的な結論はなく、そのためこのような線的な運動ではない。そして、哲学とは円環であり一つの全体であると考えた。
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### ヘルバルト(Johann Friedrich Herbart, 1776-1841)
カントの哲学と独特に解釈し、当時の哲学界のなかでいわば独立した哲学を発展させた。
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### ヘーゲル(Georg Friedrich Hegel, 1770-1831)
ヘーゲルはデカルトから始まった近代哲学を完成させた者と言われる。ヘーゲルは今までのドイツ哲学者が皆不完全であるといった。カントは自我を分裂させるし(これはフィヒテも指摘する)、フィヒテにおいては努力に際限がなく、そのため、自由は実現しない。また、シェリングはスピノザの場合と同じように、根源的同一は絶対的無差別でいかなる区別もなのだから、そこから精神や自然といった差異が生まれるのか説明できないという。
ヘーゲルにおける絶対知は`絶対精神`もしくは「絶対者」などといわれ、それはすなわち神である。しかしそれは超越存在としての神ではなく、人間(有限者)のうちに成る。そして、それは`弁証法`によってもたらされる。弁証法とは「定立」と「反定立」という対立から、それを踏まえて`総合定立`へと発展する過程である(分裂を統合するのは理性の働きである)。ヘーゲルにとって矛盾や分裂を肯定的に考える。「矛盾は新なるものの基準であり、無矛盾は偽なるものの基準である」。そして、この対立と統合という弁証法的運動の連続を繰り返し、より高い次元へ上昇することによって「絶対精神」へつながる。
- 著作
- 『精神現象学』(Phänomenologie des Geistes) (1807)
- 『論理学』(Wissenschaft der Logik) (1812-1816)
- 『法の哲学』Grundlinien der Philosophie des Rechts (1821)
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## 参考文献
1.
ウィル・バッキンガム (著)・小須田健(翻訳)、『哲学大図鑑』、三省堂、2012
1.
大橋良介 (編集)、『ドイツ観念論を学ぶ人のために』、世界思想社、2005
1.
岡崎文明ほか (著)、『西洋哲学史 理性の運命と可能性』、講談社、1997
1.
福吉勝男 (著)、『フィヒテ (Century Books―人と思想)』、清水書院、1990
First posted 2008/11/10
Last updated 2012/05/08