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# 後期フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」 第一世界大戦後のドイツは、多額の負債、それに続く大量の失業、不況、インフレ、といった事態に見舞われる危機的な状況にあった。 最晩年のフッサールもこういった事態から自らの哲学を土台として歴史的な洞察を行なった。 ## ガリレオによる世界の数式化(自然主義的態度) ルネッサンス以後、人々は中世の凝り固まった宗教観から脱却し、自らの理性によって、世界について、人間について人々は考察した。 しかし、知識を共有し学問を体系たらしめるために、知識を普遍化、客観化する必要性が生じた。 もし知識を客観化しなければ、個人々々の知識は相対化し学問を構築することは不可能になってしまう。 そこでガリレオは数学という普遍学にたより世界を数式化した。 そして人間の経験的知識を「純粋幾何学的思考」という客観知へと還元したのである。 自然科学の数式化とは、世界を測定することである。 つまり、距離、重さ、時間などのいわゆる第一次性質に関するものを数字に置き換える。 逆に、色、匂い、音などの(当時では)数字化できなかった第二次性質は主観的なものとして除外された。 この自然世界の数式化によって、知識は「基準」を獲得した。 そして、これを土台に仮説と実験のくりかえしによって世界の客観的な因果関係を確定できるという理念を形成した。 (そして、その自然科学を土台とし、人文科学の分野も可能となった。 ) ## デカルトによる知識の内在的な基礎付け ガリレオと同時代の人物である、デカルトもまた疑いえぬ知識の基盤を探求した。 懐疑論的方法によってコギトを見出して、彼は夢と現実は決して区別することはできないが、それを考える私の存在を否定することはできないと主張した。 これはガリレオの自然世界の数式化という理念とは根本的に異なり、デカルトは主観性に知識の土台を担わせようとしたのである。 つまりデカルトは知識の正当化の根本は内在的に行われなければならないこと考えた。 しかし、この主張は主観的知識は客観世界とどのように相関関係を保持しているのかという決定的な問題をもつ。 デカルトはこの問題を解決するため神に頼った(デカルトはイエズス会の学校で教育を受けていたのでその影響も考えられる)。 そして以後、これは難解なアポリアとして西洋哲学に君臨していた。 ## 主観と客観の重要性の逆転がもたらす危機 一方で、ガリレオの理念に従う自然科学は、自然世界が数式に還元され知識を共有することが可能であることを疑わず、発展を続けた(多くの科学者は数学と論理学を用いれば、世界のすべてを解明できるという信念をもっていた)。 そして、あらゆる学問は徐々に我々の住む直接に経験・直感される現実性である`生活世界(Lebenswelt)`とは異なった客観的な学問世界を形成し始めた。 そして、遂には、この客観的な世界は確実で、主観的な世界は蓋然的で不確実であるという、自然主義的態度がヨーロッパ諸学の間に流布した。 そして19世紀の後半、数学や論理学は、経験から独立した公理的体系として展開しようとしていた。 経験が現実世界に関するものであるならば、数学や論理学は可能性だけを扱うということができる。 それゆえ数学や論理学は現実に先立って(アプリオリに)、可能性の領分を示すことがきるというわけである。 しかし、数学や論理学は、次第に我々の生きる生活世界を離れて、思考による可能性にどんどん上昇してしまった(この理念が人文科学に派生し始めた時様々な誤謬が生じた、例えば、進化論を人種に適応してユダヤ人排斥を行ったナチス)。 ## フッサールの危機意識 このような全ての自然科学の基盤である数学や論理学の現実との乖離にフッサールは危機感を覚えた。 彼は自然科学が自らの理念を疑わず生活世界を軽視する事態に危機感を覚えて、彼はガリレオが根源的な`生活世界を「隠蔽した」`と言う。 実際、この自然主義的態度の重視と生活世界の軽視の傾向から自然科学が絶対視され、その結果二つの世界大戦という惨禍を招いたとも考えられる。 ## 超越論的現象学 このような事態に対して、フッサールは、数式化による世界の客観化という主観性と切り離す方法とは逆に、絶対に疑いえぬ**不可疑な基盤を生活世界に求めた**。 それはあたかもデカルトが懐疑論的手法によって自らの存在の不可偽性を発見し知識の根幹に据えたように、フッサールも独我論的前提によって自らの哲学、現象学、を開始しした(フッサール自らこの考察「デカルト的省察」と呼ぶ)。 つまり、直観という主観性に内在する根本に立ち戻りあらゆる学問を基礎づけることによって危機を乗り越えようとした。 これが超越論的現象学である。 彼はガリレオの客観主義とは反対の方向から知識を基礎づけようとしたデカルトの後継者である。 超越論的現象学はフッサール自身が前期と中期において構築した現象学を土台としている。 つまり、現象学的エポケーを全ての客観的学問に適用し、それによって、生活世界に立ち戻る。 さらに、生活世界を与える超越論的主観性を反省的に見直す哲学である。 生活世界はあらゆる学問を基礎づけている基盤であり、そして、これを構成する超越論的主観性を解明することによってあらゆる学問は基礎づけられると考えた。 これによって古代ギリシャから目指されていた「世界についての普遍学」という学問の理念、目的(テロス)も達成されるとした。 フッサールにとって、超越論的現象学こそが、「理性の自己実現」であった。 そして、超越論的現象学からハイデガーやメルロ=ポンティが自身の哲学を開始した。 --- ## 参考文献 1. 竹田青嗣 (著)、『現象学入門』、NHK出版、1989 1. 谷徹 (著)、『これが現象学だ』、講談社、2002 1. 新田義弘 (編集)、『フッサールを学ぶ人のために』、世界思想社、2000 1. マルクス, W. (著)・佐藤真理人ほか(翻訳)、『フッサール現象学入門』、文化書房博文社、1994
First posted 2007/12/09
Last updated 2011/01/10
Last updated 2011/01/10