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# プラトン「国家」#3(太陽の比喩・線分の比喩・洞窟の比喩) プラトンは三つの比喩を描き、我々の生きる世界と真実の世界であるイデア界の区別、またそれに対応する知識のあり方を解説する。 ## 太陽の比喩 プラトンは最初に目と視覚可能な対象物と太陽のそれぞれの相互関係を描き、イデアを説明する。 聴覚と触覚は対象を感覚するために、第三の要素をとしないが、視覚の場合対象を感覚するために光(太陽)を必要とする。 このように、太陽が事物を照らすとき我々の視覚機能が充分に働き対象を認識できるように、イデア(真)が照らしているものに魂が落ち着くと知性は機能し、対象を認識できる。 つまり太陽が、それがそのまま視覚であるわけではないが、視覚の原因であるように、善のイデアが知識の源泉であるのだ。 しかし、このアナロジーはその善のイデアとは何かといったことには言及しておらず、ただ、我々の知性は善の影響が不可欠であるといっているにすぎない。 これらは洞窟の比喩にて詳しく語られる。 - 見る者・見られるもの・太陽 - 知る者・知られるもの・善のイデア ## 線分の比喩 つぎにソクラテスは線分の比喩を用いて、我々の知識と信念の違い、またイデアと通常の事物との違いを解説する。彼は一本線をアルファベットで認識のレベルを4つの領域に区切る。ここでは1、2、3、4と簡略化し1を底辺とし4をもっとも高級な知識であるとする。1と2は感覚的な知識に属し、3と4は思惟的知識に属する。 1. 影像知覚・間接的知覚 まず一番底辺の知識に、実態の間接的な知覚といったかたちの知識がある。それは木の影であり、水面に写った馬の像である。これらはとても曖昧で信用するに足る知識とはいえない。 2. 確信・直接的知覚 次の知の階級は、対象物の直接知覚である。視覚、聴覚、触覚などによって得られる知識であり、先の影像知覚よりは直接的であるが、デカルトの懐疑論などでも曖昧なものとして真っ先に排除される知である。 3. 悟性的思惟・間接知(さまざまな仮定から演繹し得られる知識。科学。) この階級の知識から思惟的知に分類され先のふたつの経験的知識よりも高級なものとなる。この悟性的思惟はあらゆる科学的な知識が分類されると思われる。すなわち、さまざな仮説を前提し、そこから演繹によって知識を探求してゆくものである。しかしソクラテス曰く、これらの知識は仮説を前提としているため、砂上の楼閣であるという。 4. 知性的思惟・直接知(問答によって得れる始原的な知識。哲学。) 悟性的思惟では仮説を前提に用いるが この段階の知識は論理(ロゴス)に従った問答によって探求し得られる知識のみを用いる。問答はどのような経験的知識にも頼らず、「ただ実相(イデア)そのものだけを用いて、実相を通って実相へと働き、そして最後に実相において終わるのだ」(511c)。つまり、イデアという真実の知識(公理)のみから演繹を開始することによって、真実のまた本質的な知識に到達できるのである。哲学。 臆見(doxa) 思惟(logos)┌─────────────────┬───────────────────┐
想像・推測 信念・確信 悟性・思考 知性・学
(imagine・eikasia) (belief・pistis) (thinking・dianoia) (knowledge・noesis)
├───(1)───┼────(2)────┼────(3)────┼────(4)────┤
影・影像 動植物 数学・幾何学・科学 それぞれのイデア
──────────────────┴────────────────────
存在・可知的なもの 生成・可感的なもの
## 洞窟の比喩 太陽と線分の比喩を紹介したのち、ソクラテスはそれらを踏まえた大規模なイデア界と我々の世界の比喩を展開する。これは洞窟の比喩と呼ばれ、基本的には太陽の比喩の発展形であるが、イデア論のもっとも有名な解説である。ソクラテスはまず、我々に次のような場面を想定するように促す。 ある、薄暗い洞窟で生まれたときからずっと縄で拘束されている人たちがいる。彼らは生まれたときから一度も洞窟の外を見たことがなく、ずっと洞窟の壁を見てすごしてきた。その壁には洞窟の外にある火が光源となって外の事物の影が映し出されている。縄で拘束された人々が我々一般の人間で、壁に映し出された影像が我々知りうる一般的で感覚的な知識であり、洞窟の外がイデア界・真実の世界である。つまり、我々は通常、壁に映し出された影像を感覚によって知覚しそれが真実であると信じるが、それは実際には歪んだ真実とはほど遠いものである。真実を知るには洞窟の外て真実の目(思考)によって知覚しなければならず、感覚では決してそれに到達できない。 ある日、洞窟の住人がひとり外の光の中に突然開放されたとする。この突然の自由は最初こそ戸惑うものの、徐々に真実の目を見開かせ、もう壁に映った影ではない真実の世界を認識する(哲学者・愛知者)。そして、彼は自らが外界で得た知識は洞窟のなかでのそれよりも遥かに真実味があり現実的なものであると知る。そして、遂には目が完全に外の世界に慣れた時、彼は太陽(善のイデア)を見ることがきるようになる。そして、彼はこの真実を洞窟の住人に教えようとする。しかし、住人は彼を恐れる。なぜなら彼の言動はいままで洞窟の中で培ってきた風習や常識を覆し、否定するものだからだ。そして、遂には彼を殺してしまうのである(ソクラテスが処刑されたように)。 --- ## 参考文献 1. プラトン (著)・藤沢令夫(翻訳)、『国家〈上〉』、岩波文庫、1979年 1. プラトン (著)・藤沢令夫(翻訳)、『国家〈下〉』、岩波文庫、1979年
First posted 2006/07/21
Last updated 2008/09/15
Last updated 2008/09/15