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# プラトン「ラケス」勇気について―198a-199cにおける議論 まとめ ラケスはプラトンの初期の対話編の一つで、これもまた他の対話編と同じように`勇気`といった中心的テーマを与えられている。 198a-199cの議論に移る前にそこにいたるまでの議論の流れを見てみたい。 はじめにラケスとニキアスという高名な二人の将軍が息子に対する教育について議論する。そして彼らはソクラテスに助言を求めたところ、彼はより根源的、より包括的な問題である、「勇気とは何か」といった質問を二人に考えさせる。 ラケスが彼の勇気の定義を論駁された後、ニキアスが勇気を`戦争ならびにそれ以外のあらゆることにおける恐ろしいことと、平気なことについての知識`と定義する。つまり彼は勇気は知識の一種であり、これによって勇気と動物や子供がもつ無謀な蛮勇とを区別する。そして、ソクラテスによるニキアス論駁という最後の部分である 198a-199cに至る。この論駁の手順は複雑で不透明な点が多いため、それを明瞭にしてみたい。 1. 勇気は徳の一種 - 勇気は「恐ろしいこと」と「平気なこと」についての知識 - 「恐ろしいこと」は「恐れ」を与えるものであり、「平気なこと」は「恐れ」を与えない - 「恐れ」は「これから生じる悪についての予期」 - よって勇気とは未来の善いこと悪いことに対する知識である. しかし、ニキアスはソクラテスの次の主張を認める。 6. ある対象における過去、現在、未来のそれぞれの時間について別個の知識が担当するのではなく、同一の知識が別々の次元にわたる出来事を担当する。 - よって、もし勇気が知識の一種ならば、それは`過去、現在、未来に対する悪いこと善いことの知識`である。 - よって、ニキアスが主張した(5)は未来についての知識のみで、彼は勇気の定義の1/3を答えたに過ぎない。 加えてソクラテスと次のように主張する。 9. (7)の知識を持つものは、節度、正義、敬虔といった他の徳をも持つ - ニキアスによって勇気とされたものは徳の一部ではなく徳の全体である。 - (10)は(1)を矛盾する。 - よって最後に、彼らは勇気について何も知らなかったというアポリアに陥る。 --- ## 参考文献 1. プラトン (著)・生島幹三ほか (翻訳)、『プラトン全集〈7〉 テアゲス カルミデス ラケス リュシス』、岩波書店、2005
First posted 2007/09/30
Last updated 2007/10/02
Last updated 2007/10/02