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# 古代インド哲学史#2 後期ヴェーダ(ウパニシャッド哲学) ## 第三次ヴェーダ(ウパニシャッド) 第三次ヴェーダは、`アーラニヤカ`と`ウパニシャッド`が分類される。アーラニヤカはウパニシャッドの前身であるが、ここではこれは省略してウパニシャッドを概説する。ウパニシャッドは、先に見たブラーフマナの祭祀万能主義に対する反発から生じた古代アーリア人の哲学的思索の集大成である(といっても論理的に基礎付けられたものではなく神秘的な直感によって得られた思想である)。また、ウパニシャッドと一口でいってもそれは200近い文献群であり、それらは「古ウパニシャッド」、「新ウパニシャッド」に大別できる。通常ウパニシャッドというと古ウパニシャッドのことを指す。 (古)ウパニシャッドが成立した時期のインドは思想的に変動期であり、バラモンを中心とする前時代の宗教とは異なる宗教である仏教やジャイナ教が登場した時期だった。この時代は他国でもソクラテス、プラトン、孔子など重要な思想家が誕生した時代で、ヤスパースはこれを`枢軸時代(Achsenzeit)`と呼んだ[5, p.164]。加えて、このインドの思想書が国外に伝播するきっかけになったのは、17世紀にムガール帝国皇帝の兄`ムハンマド・ダーラー・シコー(Dara Shikoh、1615-1659)`の命によってペルシャ語に翻訳されたことである。そして、この翻訳本『ウプネカット』(Oupnek' hat)をフランスの東洋学者`デュペロン(Duperron、1731-1805)`がラテン語に翻訳し1801年に出版した。そして、これを読んだショーペンハウアーが感銘を受け哲学として評価した。西洋におけるウパニシャッドの評価は彼の業績が大きな役目を果たしたと言われている。 ## 梵我一如(brahma-atma-aikya) 前時代のリグ・ヴェーダ・ブラーフマナにおいては、全ての神々の根源的な存在である絶対神を思索したが、この時代において、人々の関心は、もはやそのような祭祀に関わる人格的な神に関してではなく、すべてを統括する普遍不動の最高原理とはなにか、というより抽象的な原理に対して向けられた。この思索によって到達したのが、`ブラフマン(Brahman、梵)`である。これは世界の一元的原理であり大宇宙(マクロコスモス)である。これに対極する小宇宙(ミクロコスモス)であるのが`アートマン(Atman、我)`である。アートマンは、感覚を超越し、また客体化することの出来ない人間の本質であると考えられる。そして、梵我一如とは、ブラフマンとアートマンという両極端が同一であるという思想である(ブラフマン=アートマン)。これは、ウパニシャッドの根本思想であると考えられている。 `梵我一如`は、「私はブラフマンである」(aham brahma' smi)、「汝はそれである」(tat tvam asi)といった句で表現される。しかし、ウパニシャッドにおいて、この梵我一如の思想は神秘的な直感によってもたらされ論理的に基礎付けられていないが、これは後にヴェーダーンタ学派の`シャンカラ([梵] Ādi Śaṅkara、700年頃 - 750年頃)`を開祖とする不二一元論学派によって理論的に基礎付けられた。 ## 梵我一如への二つアプローチ 梵我、つまり、ブラフマンとアートマンと呼ばれる根本原理はそもそも何なのかという疑問は当時から抱かれており、それに対して二人の哲学者が正反対の方向からこれにアプローチした。一人は外部世界の観察からブラフマン(「有」)にアプローチし根本原理を探求したウッダーラカ、もう一人は自己の内観からアートマンにアプローチし根本原理を探求したヤージュニャヴァルキヤである。 ### ウッダーラカ・アールニ(外界の多様性の否定、有の哲学) 実在論的な立場から梵我一如を説明する。彼はブラフマンを「有」(sat)と呼んで一切をこれに還元した。つまり、彼によると、土塊から鉢や土瓶などの無数の道具が生じるように、最初に「有」があり、これから一切が生じたと言う。そして、この「有」が「一を知れば一切を知ることが出来る」根本的な実在であるとする一元論を展開する。すなわち、「有」は自らの中から火を創出し、火は自らの中から水を創出し、水は自らの中から食物(大地)を創出した。こうして、火・水・食物の三元素が成立するに至ったという。そして、また、この火・水・食物は我々に摂取されるとそれぞれ三様に分けられる。食物は、便・肉・意(思考器官)、水は、尿・血・気息(呼吸)、熱は、骨・髄・言葉に分けられる。つまり、肉や骨だけでなく、言葉や意思も三元素によって成立しているもの、つまり物質的なものであると言う。一切はこのように「有」を本質とするものであり、つまりブラフマンが形をかえたものである。そして、この全体としてのブラフマンの対極に位置する個をアートマンという。アートマンは、例えそれが極限まで微細なものであったとしても、それでもブラフマンが形をかえたものであり、そのためそれは一切を本性として保持している。この宇宙我であるブラフマンと個我アートマンの同一性をどのように解釈するかが後のインド哲学の主要なテーマになる。 ### ヤージュニャヴァルキヤ(そうでもない、そうでもない) 上記のウッダーラカは、実在論的、外的世界の観点から梵我一如を説明するが、他方、彼の弟子のヤージュニャヴァルキヤは唯心論的に自らの内面からこれを説明する。彼は、究極の主体としてのアートマンを探求し、ここから根本原理にアプローチするのである。彼によると、「アートマンとは、あらゆる意識がそれに依存し、かつあらゆる行為がそれに基づいて確立する主体である」という(針貝p210-211)。アートマンは「究極の主体」であるため、自らの目を見れないようにそれ自身を認識対象に出来ない。そのため、これは志向して一義的に定義することができず、「そうでもない、そうでもない」(neti neti)と否定的にしか表現できない。これは究極的に内的なものであり、ヤージュニャヴァルキヤはこれを「内在者」(antar-yamin)と呼ぶ。 そして、アートマンはブラフマンと同一であるため、この絶対的主体には真実智(般若)の団塊(prajñāna-ghana)が内包されており宇宙全体を内的に支えるものでもある。彼によると、このアートマンは、認識することが不可能であるが、体験することは可能であるという。それは精神が熟睡した状態(熟睡位)をアートマンと合一した状態であり、すなわちブラフマンと合一した状態であるという。これによって欲望や憂苦から離れることができるという。彼はこの状態を妻との性交に例えるが、熟睡位においては意識をもたないため後に議論を呼ぶことになる。 輪廻・業・解脱 ウパニシャッドには死後の世界に関する考察も行なわれる。そして、ここにおいても生命と世界の生滅を円環として表現することによって世界を一元的なものとして表現する。 輪廻(五火二道説) ウパニシャッドにおいて、人の魂は円環をなしていると考えられた。これを輪廻(samsara)という。この魂の円環は五火説という秘教において5段階で表現されている。それによると、人は死後火葬されると、次のように変遷すると考えた。 1. 月に入り 2. 雨となり 3. 地上に降って食物となり 4. 精子になり 5. 母胎に入って再生する また、これに加えて、二道説と呼ばれる教義があり、これによると、人の死後二つの道があると考えられた。一つはブラフマン(梵界)に至る「神道」(devayana)、もう一つは先の五火説の手順でこの世に輪廻転生する「祖道」(pitryana)である。もともとは異なる教義であるが、二つの教義をあわせて「五火二道説」という。 業(因果応報) 輪廻は悪であるとされた。それはこの世の苦しみや死を永遠に繰り返すからである。ではどうすれば輪廻から抜け出しブラフマンに至ることができるのか。それは人の行為(karman、業)によるという。業は何かの結果(業果)を生む。善の業は善の果をもたらし、悪の業は悪の果をもたらす。これが因果応報である。そして、ウパニシャッドによると、この因果応報は、人の生涯で完結するものではなく、死後の世界にも影響するという。 解脱(ブラフマンとの合一) 善の業がブラフマンに至るという善の果をもたらし、悪の業が終わりなき輪廻という悪の果をもたらす。では、どのようにして、この輪廻から自由になり神道を経てブラフマンへ至ること、すなわち解脱(moksha)することができるのか。ウパニシャッドにおいて、この解脱が究極の目標とされた。そして、ウパニシャッドによる解脱とは、ブラフマンとアートマンの本質を悟って、梵我一如を直観することによって、ブラフマンと合一することによって達成される。その手段として、欲望を捨て、黙想(ヨーガ)によって精神を統一し、ブラフマン・アートマンの精神に集中することを挙げる。 業と輪廻、そして、それからの解脱の教説は、後のヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の根底をなしており、インド思想・宗教・文化に多大な影響を与える。 --- ## 参考文献 1. 金岡秀友 (著)、『インド哲学史概説』、佼成出版社、1990 1. 金倉圓照 (著)、『インド哲学史』、平楽寺書店 1987 1. 立川武蔵 (著)、『はじめてのインド哲学』、講談社、1992 1. 早島鏡正 (著)、『インド思想史』、東京大学出版会、1982 1. 針貝邦生 (著)、『ヴェーダからウパニシャッドへ (Century Books―人と思想)』、清水書院、2000 1. 前田専学 (著)、『インド哲学へのいざない ヴェーダとウパニシャッド』、NHK出版、2000
First posted 2010/04/14
Last updated 2010/04/15
Last updated 2010/04/15