<< 前へ │ 次へ >>
# ラッセル「表示について」#3 批判 ## 異なるパターン 記述理論は固有名と表示句を区別することで、固有名と確定記述の同一性言明は成立せず、パズルが生じないことを示すが、固有名同士の同一性言明と確定記述同士の同一性言明の場合においてもこのフレーゲのパズルは生じうる。 ここでは確定記述(外延の限定)同士の同一性言明と固有名(直接指示)同士の同一性言明の場合、対象の与えられ方が一致するため、上記の方法で固有名と確定記述を分けることでパズルを解消するという仕方では通用しない。 ### ・確定記述同士の同一性言明 確定記述同士の同一性言明の場合を考えるとラッセル論理学における内包性が垣間見える。 つまり、記述理論は形而上学的実在や「意義」といったものを回避して表示の理論をまったく外延的に構築できるものではない(野本p90):- 17. ハムレットの作者 = ハムレットの作者
$\iota x{\tt Hamlet}(x) = \iota x{\tt Hamlet}(x)$ - 18. ハムレットの作者 = マクベスの作者
$\iota x{\tt Hamlet}(x) = \iota x{\tt Macbeth}(x)$
- $V(\iota x{\tt Hamlet}(x))$ = $V(\iota x{\tt Macbeth}(x))$ = $s$
- 23. ヘスペラス = ヘスペラス
- 24. ヘスペラス = フォスフォラス
<代入則>交換するのがaとかbといった固有名であれば問題ないが、しかし、確定記述と固有名の代入則は成立しない場合がある。その典型例は命題的態度の文脈である。 $A$と$a$は信じている」を信念論理のオペレータ$\Box_aA$で表現して、これを記号にすると(${\tt Hamlet}(x)$:xはハムレットの作者、${\tt English}(x)$:xはイギリス人、s = シェイクスピア): - シェイクスピアはイギリス人であると太郎は信じている。$\vdash \Box_{a}{\tt English}(s)$ - ハムレットの作者 = シェイクスピア $\vdash s=\iota x{\tt Hamlet}(x)$ - ハムレットの作者はイギリス人であると太郎は信じている。(?) $\not\vdash\Box_{a}{\tt English}(\iota x{\tt Hamlet}(x))$ 代入則によれば28の真理値は変化しない。しかし、26を信じている人が28「ハムレットの作者はイギリス人である」と信じているとは限らないため真理値は変化しうる。 ### ・論証の不成立 また、代入則でなくても、確定記述を含む命題を一般命題化した場合においても26~28の論証は成り立たない。「
$\\{Fa, a=b\\} \vdash Fb $
- 30. $\Box_a∃x({\tt Hamlet}(x)\wedge ∀y({\tt Hamlet}(y)→x=y)\wedge {\tt English}(x))$
- $\Box_a{\tt English}(\iota x{\tt Hamlet}(x))$
- $s=\iota x{\tt Hamlet}(x)$
- $\Box_a{\tt English}(s)$
- 30'. $∃x({\tt Hamlet}(x)\wedge ∀y({\tt Hamlet}(y)→x=y)\wedge \Box_a{\tt English}(x))$
- 30'. $∃x({\tt Hamlet}(x)\wedge ∀y({\tt Hamlet}(y)→x=y)\wedge \Box_a{\tt English}(x))$
- $s=\iota x{\tt Hamlet}(x)$
- 32. therefore, $\Box_a{\tt English}(s)$
## ドネランの反論 ドネランは確定記述の使用法を「帰納的用法」と「指示的用法」の二つに分ける。この区別によってラッセルとストローソンの対立の原因を明らかにしてこれらの対立の調停する。 ### ・帰属的用法(non-referring use, attributive use) 彼によると、我々は同じ命題を異なった状況で使用することによって異なったことを意味することができる。例えば、スミスという人物が惨たらしく殺されたとする。そして、彼の死体を発見したものが「スミスを殺したやつは気が狂っているSmith's murderer is insane」と言ったとする。我々はこのSmith's murdererという発言が何も直接指示していない確定記述の使用法(帰属的用法)であることが分かる。なぜならば、この発言者が意味することは「スミスを殺した犯人は誰であろうと気が狂っている」ということであり、具体的な対象を指示しているわけではないし、犯人が誰であっても同じ発言をしていたであろうからである。これはラッセルが記述理論で明確にしたことである。 ### ・指示的用法(referring use) つぎに、例えば、ジョーンズという人物が無実にもかかわらずスミス殺害の容疑で逮捕され、法廷で裁かれているとする。そして、ジョーンズは法廷で独り言を言っていて異常者に見えるとする。彼を見た記者の一人が、「スミスを殺したやつは気が狂っているSmith's murderer is insane」とジョーンズのことを表現した。この発言は直接指示対象をもつ確定記述の使用法(指示的用法)であることが分かる。つまり、この発言は「私が犯人だと確信して、そして独り言を言っている人物は、気が狂っている」という意味である。これは、日常的、常識的な状況から明らかなことであり、ストローソンが支持する立場である。この命題の真偽は、ジョーンズが実際犯人か無実かは関係なく、指示する対象(ジョーンズ)が気が狂っているかどうかである。しかし、この発言をラッセルの記述理論で見てみると、上の発言が間接的に意味する対象はスミス殺人の真犯人であり、また誰であってもスミスを殺したやつは狂っていると受けとらねばらならない。そして、我々は記者のジョーンズの独り言に対する観察は彼の発言に無関係であると捉えねばならない。これは、明らかにポイントをはずしている。 ラッセルはこの指示的用法を無視しているのであり、またドネランによるとストローソンは指示的用法にこだわり、帰属的用法を無視しているという。 --- ## 参考文献 1. 飯田隆 (著)、『言語哲学大全〈1〉論理と言語』、勁草書房、1987 1. 飯田隆 (著)、『言語哲学大全〈3〉意味と様相 (下)』、 勁草書房、1995 1. 飯田隆 (編集)、『哲学の歴史〈11〉論理・数学・言語』、中央公論新社、2007 1. 竹尾治一郎 (著)、『分析哲学入門』、世界思想社、1999 1. 野本和幸 (著)、『現代の論理的意味論―フレーゲからクリプキまで』、岩波書店、1988 1. 野本和幸ほか (編集)、『言語哲学を学ぶ人のために』、世界思想社、2002 1. ライカン, W. G. (著)・荒磯敏文ほか(翻訳)、『言語哲学―入門から中級まで』、勁草書房、2005
First posted 2008/12/11
Last updated 2011/03/22
Last updated 2011/03/22