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# 中世哲学史#3 中期スコラ哲学 ## 13世紀のスコラ学 西方では13世紀から有名な学者の塾や私立学校が修道院に取って代わって高等教育機関となる。これが大学の始まりである。そして、アラブのアリストテレス研究や翻訳された著書は西方にも伝わり盛んに研究される。大学では神学、法学、医学、人文の4学部からなり、人文は基礎教育の学部であったが、人文でアリストテレスを教材として使うようになってから、哲学部として他の学部と並ぶようになった。西方諸国におけるアリストテレス解釈は大きく3つに分かれる: 1. オックスフォード学派 フランシスコ会の神学者たちによる保守的なアウグスティヌス的解釈。神学と対立しない要素のみ容認(論理学、自然哲学、形而上学)。 2. アラブ哲学を源泉とするラテン・アヴェロエス主義 彼らはキリスト教教義よりも知を優先し神学と哲学がそれぞれ独立した学問であるとした。当時ではラディカルな立場。 3. ドミニコ会 アルベルトゥス・マグヌスらによる中道的なアリストテレス主義。トマス・アクィナスが属した。 --- ## 1. オックスフォード学派 フランシスコ会の神学者らによる学派。彼らはアウグスティヌスの照明論、アラブの光学と天文学、アリストテレスの形而上学を統合した。 ### グローステスト(Robert Grosseteste, 1175-1253) 彼の哲学は、光の形而上学と呼ぶにふさわしく、世界は光が一点にあつまり、それが拡散することによって空間が生まれることによって始まるという(ビックバンと思えなくもない)。また、精神の存在を規定するのも精神的な光であり、すなわち神である。この光により、事物の認識が可能となる(プラトンの太陽の比喩を思わせる)と考えた。 ### ベーコン(Roger Bacon, 1214頃-1292頃) 彼の『大著作』にて科学的な実験と数学を加味し神学を頂点とする普遍学を構想した。また彼はアリストテレスの自然哲学に依拠しつつも、アリストテレスが数学を軽視したことには批判的だった。ベーコンは数学は無知の源泉を除去するのに役立つと指摘した。また、単なる思考は幾何学的な証明手段を経て明証性を得て認識へと昇華するという。さらに、彼にとって学は理論で終わるのではなく、人間の幸福やキリスト教に貢献するといった実践的な目的をもつ。 ### ボナヴェントゥラ(Bonaventura, 1221-1274) フランシスコ会の神学者でアウグスティヌス、ディオニュシオス、アンセルムス、サン=ヴィクトル学派といった伝統的な神学を引き継いだ。 彼にとって理性は信仰の庇護の下で育まれるものであって、哲学は神学に属するものであった。また、彼は複数の形相によって1個の有限存在者は構成されているとする形相多数説を唱えた。そのもっとも根源的な形相は光の形相であり、これはあらゆる被造物に共通である。また存在者の真の理解はアリストテレス的な自然観を超えて、存在者を神の影と見ることによって得られるないという、いわばプラトン的な範型因性を中心に置かなければならないとした。あらゆる存在は創造に先立ってキリストによって思念されていたのであり、そのため、キリストは認識の鍵である(照明論)。人間の認識は全てにおいて神の現われを求めて、まず外なる自然的存在者における神の足跡を把握し、それを持って認識したところの感覚的表象を反省することを通して内面への道をたどり、次に人間精神の思惟と徳における神の似姿と類似へと昇り、ついには神を直接に純粋な存在と善性において、また三位格的なその神秘において考察して、完成への道程を遂げるようになるのである。[4, p.274]--- ## 2. アラブにおけるアリストテレス解釈の拡大 13世紀にアラブとアラブの支配下にあったスペインでアリストテレス解釈が活発となる。この解釈は新プラトン主義の特色を強く持ち神秘主義的な色彩が強かった。アヴァロエスによる信仰よりも理性を重視する態度が後世に影響を与えた。 ### アル=キンディー(al-Kindi, 801-873頃) アラブにおけるアリストテレスの翻訳と解釈の先駆者。新プラトン主義的アプローチとアリストテレスを融合させようとした。 ### アル=ファーラービー(al-Farabi, 872-950頃) プラトンとアリストテレスの思想が一致していると主張した。 ### アヴィケンナ(Avicenna, 980-1037) 『治癒』にてアリストテレスの知性論を新プラトン主義の流出の存在論で解釈。彼はアリストテレス主義者であるが、アリストテレスが人間を形相と質量で捉え死後の存続を容認しなかったという点に反対した。そして、彼はプラトン(新プラトン主義)を援用して人間を実体二元論で捉えた(デカルトを先取り)。 この二元論は、全ての感覚の断絶を想定した「宙に浮く人間」という思考実験で主張した。 彼は精神の不死性のみ唱えたため死後における身体と精神の復活を教義とするイスラム教神学では異端と批判されたが、キリスト教正会に大きな影響を与えた。 ### アル=ガザーリー(al-Ghazzali, 1058-1111頃) イスラム教の大神学者。彼は新プラトン主義とアリストテレスを研究したが、最終的には真理は哲学(人間理性の認識能力)によってではなく、信仰と神秘主義的実践によってもたらされると結論した(反合理主義者・神秘主義者)。 ### アヴェロエス(Averroes, 1126-1198) アリストテレスの著作に膨大な註を施し後世のアリストテレス解釈に多大な影響を与えた。またアル=ガザーリーが理性の認識能力の限界を主張したのに対し、彼は理性は信仰の上位に位置することを強調した。つまり、コーランの理解は字義通りの意味よりも推論による解釈を優先すべきであると考えた。しかし、この推論を優先した場合イスラム教の教義をいくつか犠牲にしなければならないため、彼の主張は非常に急進的で過激であるとされ異端視された。これにより彼自身は断罪されたが、彼の思想はラテン語とヘブライ語に翻訳されて、13-14世紀にこの解釈を引き継ぐ急進的なアヴァロエス学派が形成された(この理性を重視する立場は、ルネサンス期に開花するが、それまでの教会の権威が絶大な時期においては異端とされた)。 ### アルベルトゥス(Albertus, 1192-1280) 彼は広範な知識により大アルベルトゥス(Albertus Magnus)と呼ばれた。彼はボナヴェントゥラとは対照的に、知識を限定せずさまざま学派や主義から知識を吸収した。アリストテレスの全著書の註訳書を残した(しかし、アラブから伝わったアリストテレス著書なので新プラトン主義の色合いが濃かった)。彼は認識論と霊魂論に関して、アヴェロエスのアリストテレス解釈(人間理性が唯一の認識手段であり共通)には反対で、知性は能動性も可能知性も各個人それぞれに個別化され、固有なものだと主張した。また、彼にとっての人間の幸福とは人間の普遍的な能動知性による神との一致である(新プラトン主義的見解によるものである。)。 --- ## 3. ドミニコ会 ### アクィナス(Thomas Aquinas, 1225頃-1274) アクィナスは中世哲学において、アウグスティヌスと共によく知られている哲学者である。彼はアリストテレスをキリスト教の教義と矛盾のない整合的な解釈を試みた。 学知と信仰 彼は信仰と理性(学知)を両立することを目指した。 *学知*とは、我々がある対象を理性の光によって真であると認め、そして、それによって得られる同意である。 *信仰*とは、我々がある対象を神の啓示によって真であると認め、そして、それによって得られる同意である。彼によると、これらはまったく異なる同意である。信仰の対象が学知されることも、学知の対象が信仰されることもありえない。神学は前提が信仰の対象であり、そのため、これから引き出された結論も信仰の対象である。 神の存在証明 アクィナスは、神の存在証明を複数提案している。その一つは、アリストテレスの第一動者を神とするものである。我々の経験する世界に運動が存在する。運動するものは何かに動かされた。しかし原因を無限に遡ることはできない。従って第一動者が存在しなければならない。
- 著作
- 『神学大全』(Summa Theologiae)
- 『対異教徒大全』(Summa contra Gentiles)
- \*1. アリストテレスの多くの著書は、アラブから西洋に逆輸入されたが、これの当初は教会によって異端であるとされた。それは、キリスト教教義は神が世界を創った、つまり、世界に始まりがあるとするが、アリストテレスの世界観は宇宙は恒久普遍なものであるとするため教義と矛盾するなどの点による。しかし、アクィナスなどが教会を説得しアリストテレスが受容されるようになった。
First posted 2008/09/28
Last updated 2012/03/19
Last updated 2012/03/19