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# ロック「人間知性論」#1(観念と認識) 我々の知識は`観念(idea)`からなる(諸観念の一致または不一致を認識することからなる)。 観念は我々が思考するときの対象である。 では、どのようにその観念は形成されるのだろうか。 ## 生得観念の否定と「タブラ・ラサ」 ロックは、まず生得観念(innate ideas)の一切を否定した。 生得観念とは人間が生まれたときから普遍妥当な観念を持っているという主張である。 この生得観念の否定は実践の領域(倫理学など)ばかりでなく、理論の領域(数学や論理学)においてもなされる。 例えば、デカルトの外在世界の証明は神の概念に依存し、その神は生得観念によって証明されるが、他の習慣をもつ民族や異なった時代に生きる人たちにはまったくデカルトの神のような概念をもたない場合もある。 また、理論の領域においてアプリオリな真理とされる同一律や矛盾律といった基本命題が、もし本当に生得的であるならば、すべての人がそれらを知っているはずだが、実際にはそうではない。例として、子供や白痴は知らない場合がある。 我々の知識は観念からなるが先に見たように生得観念は否定された。 我々の心は生まれたときにはまったくの`白紙([羅]tabula rasa)`である。 しかし、ロックは、経験によってあらゆる観念を獲得するという。 `全ての我々の観念は、経験から生まれる。([羅]Nihil est in intellectu quod non prius fuerit in sensu)` ## 経験・観念・性質 では具体的にどのようにその「白紙」に様々な観念が書き込まれるのだろうか。 それは経験によってなされる。 観念は経験に依存する。 そして、その経験は二つの種類に分けられる。 すなわち、`感覚([英]sensation)`と`反省([英]reflection)`(または「内的感覚」([英]internal sense))である。 感覚は外部の事物の知覚であり、反省は内面的な心の知覚である。 そして、この二つの経験によって形成される観念は、対象から直接的・受動的に与えられる`単純観念([英]simple idea)`とその単純観念を構成して形成する`複合観念([英]complex idea)`がある。 そして、単純観念は`第一性質([英]primary quality)`と`第二性質([英]secondary quality)`という異なった性質をもつ。 この区別は科学者`ボイル(Robert Boyle 1627-1691)`の影響と考えられており、同時代のデカルトやガリレイなどもこの区別を採用している。 第一性質は、延長や運動といった対象に不可欠で客観的な性質であり、第ニ性質は色や味といった我々の感覚と主観性に依存する性質である。 そのため世界に実在するのは第一性質だけとする。 (これは後にバークリに批判され、この第一と第二の区別は統合される)。 |第一性質|第二性質| |:--|:--| |延長|色| |運動・静止|味| |数|匂い| |形状など|音など| またどのように我々は自らの心に対象の性質の観念を生み出すかというと、ロックによると事物は無数の原子を含んでおり(またその原子ひとつひとつももし感覚できるなら第二性質を捉えれるが、我々にはそもそも感覚できない)、その小さな原子を我々の感覚器官が捉えると、性質の観念が形成されるという。 これは、アリストテレス主義の反対の主張である。 アリストテレスは対象が自らの情報を常に放出しているという。 例えば、対象は目に見える種を放出しており、それを目が捉えると視覚が引き起こるとした。 ## 複合観念 また、複合観念は三つの観念に分類できる。 「様相」「実体」「関係」の三つである。 - **様相の観念** 空間の諸要素(距離、尺度、無限、平面、図形、etc) - **実体の観念** (ここにある机をリアルなものとして感覚する。 しかし、今までの言説によるとこれは単純観念の複合体である(`個別実体([英]particular substance)`)。 しかし、このリアルな机を我々自ら作り出し継続しているとも考え難い。 そのため、個別実体の根底に基体(机という観念を形成する実体が存在するという仮定)を置く。 これが`実体一般([英]substance in general)`である。 しかし、これは、実際に実在する存在と確かめられない、認識されないものとして考える。 この限り、外界は感覚に与えられているとおりではないことになる。 ここに経験主義が観念論(バークリ)、懐疑論(ヒューム)に向かう兆候がある。 - **関係の観念** ロックは最後に関係、特に原因と結果という因果関係に注目する。 因果関係の概念は、実体にせよ、とにかくあるものが他のものの作用によって存在し始めるのを悟性が見るとき生ずるものである。 ## 認識 上で、観念がどのようなもので、どのように形成されるか見た。 そして、認識/知識とはその形成された諸観念の一致・不一致を認識することによってなされる(意味の観念説という意味論の古典的理論、グライスの心理説に受け継がれた)。 では、その観念の一致・不一致はどのようになされるのか。 まず、ロックは認識を`直観的認識 ([英]intuitive)`、`論証的認識([英]demonstrative)`、`感覚的認識([英]sensitive)`の三つに分ける。 - **直観的認識**:非矛盾律や排中律などであり高い確実性を持つ。 - **論証的認識**:直観的認識を前提として論証して得た認識。 これは「三角形の内角の和はニ直角である」などの知識であり、このような知識も論証が確かであれば確実な知識である。 - **感覚的認識**:外的事物を知覚することによって得られる認識。 経験科学による認識。 直観がもっとも確実性をもち、論証、感覚となるにつれ徐々に明証性は失われていくとする(直観>論証>感覚)。 ロックはデカルト同様、物体、精神、神を実体と認めた。 そして、精神は直観的認識によってその存在が知られ、また神は論証的認識によって知られる(\*2)。 物体は感覚的認識によって知られるが、感覚は明証性が先の二つより欠如しているため、蓋然的である。 しかし、ロックによると、この感覚的認識も認識に含めて良いと考える。 ロックの哲学の重要な点は、彼が直観的認識と論証的認識を合理主義と同じように確実なものとして、それに加えて感覚的認識も認識確実性を与えようとするところである。 これは自然科学を擁護するためである。 しかし、この感覚的認識の確実性は他の二つの認識がもつ`絶対的な確実性`とは異なるもので`実践を保証する確実性`である。 そして、ロックによると、感覚認識の確実性は明証性が先の二つのものより欠如しており蓋然的である。 そのため、外的事物を対象とする自然科学も絶対的な確実性には届かないと結論する。 このようにロックはイギリス経験主義の創始者であるが、直観的認識や論証的認識は絶対的に確実であると言えるが、感覚的認識は絶対的確実性を持ち得ない、とするところに、デカルト合理主義の強い影響力が見える。 このように、彼の経験論は徹底しておらず、そのため、全ての観念は経験によって形成されるが、それと同時に外在的で客観的な実在の観念を持つという曖昧な主張を内包していた。 前者を極端まで追求し観念論に導いたのが`バークリ`であり、後者を極端まで推し進めたのが`コンディヤック`である。 --- ### 人格の同一性 ([英]Personal identity) 人間知性論の第二版以降に付け加えられる、「同一性と差異性」の章において、人格の同一性に関する議論を展開し、これが同一性における議論の枠組みになる。 ロックは「人間」と「人格」の同一性を区別する。 「人間」の肉体は時間とともに常に変化しているため同一性を保持していない。 また精神も常に流動しているが、その中の自らに対する意識である「人格」が同じ人間であることを可能にしている。 人格は、「思考する知性的存在、推理し反省し、自分を自分として、つまり様々なとき、様々なところで同じものが思考しているというように自分を捉えることができる存在」と定義される。 また、人格とは意識が継続し、過去の自らの行為に対し責任を感じることである。 つまり、ロックの人格は記憶に依存する。 --- ## 注 ウォーバートン, N. (著)・船木亨(翻訳)、『入門 哲学の名著』、ナカニシヤ出版、2005 1. 岡崎文明ほか (著)、『西洋哲学史 理性の運命と可能性』、講談社、1997 1. 小林一郎 (著)、『西洋哲学史入門』、金港堂出版部、1998 1. シュヴェーグラー (著)・谷川徹三ほか(翻訳)、『西洋哲学史〈上〉』、岩波文庫、1995
First posted 2006/10/26
Last updated 2012/03/19
Last updated 2012/03/19
(ガリレオ)手の上に鳥の羽が触れた時、人はくすぐったさを感じる。 他方、他の部分にそれが触れた時、痛みなどの感覚を感じるだろう。 従って、鳥の羽それ自体にくすぐったさなどのいかなる感覚も備わっていない。 しかし、それらは我々の意識に属している。
(ロック)火は暖かく明るいと人々は考えがちだが、それらの性質は火それ自体に備わっている観念ではない。 もし、火が手に近づいたならば、我々は痛みを感じるだろう。 したがって、我々は暖かさは火の観念であるとは言えない。 しかし、すべての観念は我々の意識によってもたらされる。