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# カント「純粋理性批判」#1(アプリオリな総合判断) ヒュームの懐疑論の衝撃で「独断のまどろみ」より目を覚ましたカントは、人間理性を批判的に考察し、その射程と限界を明らかにしようとした。つまり、知識が学問的なものであるための条件と、またそのような条件下で「神」や「魂の不死」といった伝統的な形而上学的の概念は学問的と言えるかどうか批判的に見直した。 そしてその結果、カントは、経験論と合理論の哲学の二つの支流を合流させ、人間理性のうちに`先験的(アプリオリ:a priori)`(または、`超越論的(transzendental)`と呼ばれる)に備わる認識形式を見出し、それを学問の条件とすることによって、神を土台とする伝統的な形而上学や認識論を破壊するという、哲学史において重大な転機をもたらした。 カントの哲学は、超越論哲学と呼ばれ、『純粋理性批判』のタイトルからも見て取れるようにまたその傾向ゆえに批判哲学とも呼ばれる (\*1)。 ## アプリオリな総合判断(Synthetisches Urteil) まずは、学問的な知識の条件の検討である。今までの哲学者は、認識の種類を`アプリオリな分析判断(Analytisches Urteil)`と`アポステリオリな総合判断(Synthetisches Urteil)`のふたつしか認めなかった。前者は、述語が主語にすでに含まれている判断。「独身者は未婚である」といった命題。これは認識を拡張することはなく、同語反復でA=Aという同一率にとどまり、絶対的な真理だがこれによる認識の拡張はありえない。後者は、主語と述語の関係が経験によってもたらされる判断。例えば「水は冷たい」といった命題。これは認識を拡張可能であるが不確実なものにとどまる。 - 分析的:認識を拡張しない - 総合的:認識を拡張する - アプリオリな認識:その正当化のためいかなる経験をも引き合いに出す必要がない認識(確実性・必然性を伴う) - アポステリオリな認識:その正当化のために何らかの経験に依拠する認識 では人間の認識は同語反復に内にとどまるか、不確実な認識を拡張するしかないのだろうか。あらゆる認識の拡張である学問的な知識をアポステリオリな総合判断に還元したヒュームはそう考えた。しかし、カントはヒュームがアポステリオリな認識判断に還元したはずの自然科学(ニュートン力学など)と数学の現実における成功は無視できなかった。そこで、カントは上記の二つの認識とは異なった三つ目の「アプリオリな総合判断/先験的総合判断」を加える。 カントはまず、ヒュームの懐疑哲学にしたがって、例えば、自然における因果関係において必然的結合を認識しえないとした(経験論的)。しかし、ヒュームは我々が実際にもつ因果関係に対する確信は習慣に基づく主観的な信念でしかないと考えたが、カントはこのような因果性の認識は人間に備わるアプリオリな知性の形式であるとする(合理論的)。このような類の判断がアプリオリな総合判断である。そして、因果性、時間と空間などは、客観的に存在したり、事物そのものに属しているわけではなく、我々人間の超越論的な形式によって提供される。カントは、このアプリオリで超越論的な認識の発見が自然科学や数学などの学問の普遍的な妥当性を正当化し可能にすると考えた。 ## コペルニクス的転回 今までの哲学は、客観を主観が受け取ることが認識であると考え、その主客の相互関係を示すことを探求してきたが、それを達成することはできなかった。そこでカントは主観が客観に従っているという立場を逆転させて、客観が主観に従っているとしたのである。カントの言葉によると:これまでは、我々の認識は全て対象に従わなければならないと想定されていた。しかし対象に関してアプリオリな概念を持って何らかの―それによって我々の認識が拡張されるような―決定をしようとする企ては、このような想定のもとでは全て失敗してしまった。したがって対象が我々の認識に従わなければならないと想定したら、形而上学の問題がもっとうまく解決されはしないかどうか、やってみようではないか。要引用箇所これを彼は`コペルニクス的転回(Kopernikanische Wende)`という。このように、ある対象を認識するとは主観側のアプリオリな認識様式に従って対象を構成するのだとする。これを超越論的観念論という。 ## カント哲学の概要 カントは自らの哲学を心理学的な分類に従い三つに分ける。
- 純粋理性批判: 認識(原理、指導的な法則)
- 実践理性批判: 感情(欲求、行為)
- 判断力批判: 意欲(快不快の感情)
カントは、人間理性のうちにアプリオリな認識能力が備わっているとしたが、そのアプリオリな原理はなにかという問題を扱う。そして、認識を受動的な認識能力である`感性(Sinnlichkeit)`と能動的な認識能力である`悟性(Verstand)`にわけて、
(1) 超越論的感性論と
(2) 超越論的分析論においてそれぞれのうちにアプリオリな原理を探求した。
そして、その見つかったアプリオリな形式を用いて
(3) にて思弁的形而上学を批判的に吟味する。
(言い換えれば、(1)と(2)にて新たな形而上学を構成し、それを用いて(3)で伝統的な形而上学を批判する)。
- (感性論)感性(認識能力の受動性)が現象を直観する。ここに時間と空間がアプリオリな形式として存在する
- (分析論)その直観を悟性(認識能力の能動性)が思惟することによって認識にいたる
First posted 2008/10/19
Last updated 2010/11/11
Last updated 2010/11/11