# 科学哲学#2 科学と非科学
## 検証可能性原理(論理実証主義)
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## 反証可能性原理(ポパー)
`ポパー(Karl R Popper, 1902-1994)`は、
ヒュームの帰納に対する懐疑論に反論するのではなく逆に強化することによって科学の`境界線問題([英]demarcation problem)`に解決を与え科学の領域を確保する。ポパーは精神分析やマルクス主義が科学と称することに疑問をもつ。なぜなら、それらは、どんな疑問でも完璧に説明できるのである。
例えば、
- 精神分析によると「人間は潜在的にオイディプス願望をもっている」という仮説を立てる。そして、これを示唆する行動を観測できなかったとしても、それは超自我によって抑圧されていたものであると説明できる。
- マルクス主義も、資本主義の内在的矛盾が一定の量に達したとき革命を引き起こすとするが、革命が失敗したり引き起こらなかった場合はその矛盾がまだ一定のレベルまで到達していなかったと説明できる。
つまり、これらは反証することのできる命題を引き出す(演繹すること)ことができないのである。しかし、これに対しアインシュタインの一般相対性理論は天体の観測によって反証可能である
(\*1)。ポパーは、科学においても反証可能なものとそうでないものがあるという事実に衝撃を受け、そして、この`反証可能性([英]falsifiability, refutability)`こそが科学の線引きを行うことのできる基準であると考える。この反証可能性による科学の線引きを「反証可能性の原理」と言う。これは仮説演繹法に近い。つまり、ある科学仮説があり、それに対し観察をおこなった。そして予想(仮説)と観察結果が食い違っていたとする。その結果、仮説は論理的に反証される
(\*2)。これは演繹的推論(後件否定Modus Tollendo Tollens)であるためヒュームの懐疑は及ばない。
- $A\to B$ (仮説)
- $\neg B$ (観察結果)
- 従って、$\neg A$ (反証)
しかし、反証可能性の原理は、仮説演繹法とは異なり予測と観察が一致したとしても、反証主義はこの仮説が検証されたとしない(そして帰納による一般化を認めない)。これは、ポパーはヒュームの懐疑論を厳格に受け止め、この懐疑を安易に排除しないからである。つまり、この仮説はただひとつの反証可能性を切り抜けたに過ぎず、また異なる観測結果によって反証される可能性が依然としてどこまでも残っている。そして、科学理論とは、常に反証される可能性に脅かされており、つまり、科学とは次から次に問題が続く`終わりなき探求([英]unended quest)`であるという。そして、確実に前進したといえるのは、実は理論が反証されたときなのである。それ以外の理論は、「まだ反証されていない理論」である。このように帰納法による一般化を否定して、科学理論とは常に反証される危険に脅かされているとして、そして、この反証される可能性をもつ理論こそが科学の条件であるとする。このように、反証可能性の原理は、論理実証主義の検証原理ように決してポジティブに知識を形成したり説明したりする原理ではなく、科学知識とは反証されうる知識であるとするため、これはヒュームの懐疑論に準拠しつつネガティブに科学知識の領域を確保する原理である。
### 科学理論と有意味な理論
また、ポパーはこの反証可能性を科学の良し悪しの判断する際に用いる。良い科学理論とは、高い反証可能性をもつもの。例えば、一般相対性理論は古典物理学からはありえない観測結果を予想する。しかし、この大胆な予想(=高い反証可能性)であるにもかかわらず、いまだ反証されていない。逆に悪い科学理論とは、反証可能性がほとんどない(あるいはまったくない)理論である。しかし、反証不可能だからといって、ポパーはそれを無意味なものとはしない(論理実証主義は検証不可能な命題は形而上学であると問答無用で切り捨てるが)。彼は、科学であることと有意味であることは一致しないという。例えば、哲学の命題は反証不可能であるが、だからといってそれらは無意味ではないという。あくまで反証可能性の原理は、「科学」の線引きを行うものであり、理論の有意味性に関しては問わない。
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## 反証主義への批判
反証可能性の原理は、かなりの精度で科学と非科学を区別でき、実際の科学者からもウケがいい。しかし、それでもこの区別は完璧ではなく、ボーダラインケースが多々ある。つまり、次の二つの例がある。
- 反証可能性を持つが科学的ではない命題
- 反証可能性を持たないが科学的である命題
最初の例は、『聖書の暗号』という本で行われていることである。これは、歴史的叙述が聖書の中で予言されているとするものである。しかし、これは聖書をかなり特殊で恣意的な読み方をしており、科学的な命題とは言いがたい。しかし、この本(の続編)が発売された2003年の時点で「2006年に人類は滅亡する」と予言していたが、2003年の時点ではこの命題は反証可能性を持つ。そのため2006年までは科学的命題だった、ということになる
(\*3)。
2つ目の例は、ホーリズムに由来する。科学の歴史には、決定実験と呼ばれるものがしばし行われる。それは、二つの対立する理論のうちどちらが正しいのかが決まる決定的な実験のことである。例えば、天動説と地動説という対立する理論を決定した`フーコーの振り子([仏]Pendule de Foucault)`などである。これによって、天動説は反証された、と考えられた。しかし、`クワインの「二つのドグマ」`で指摘するように、科学理論は無数の補助仮説を前提しており、無数の科学理論はそれぞれ独立的に存在するわけではなく一つの全体をなしている。そのため、決定的実験(反証)は不可能なのである。
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## 注
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## 参考文献
1.
伊勢田哲治ほか (編集)、『科学技術をよく考える クリティカル・シンキング練習帳』、名古屋大学出版会、2013
1.
竹尾治一郎 (著)、『分析哲学入門』、世界思想社、1999
1.
西脇与作 (著)、『科学の哲学』、慶應義塾大学出版会、2004
1.
森田邦久 (著)、『科学哲学講義』、筑摩書房、2012
First posted 2012/08/03
Last updated 2012/08/03