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# デイヴィドソン「根源的解釈」#1 様々な解釈理論の検証 ## 発話を解釈する ある人間が発した音を言語と認識できたならば、私は彼の言葉を解釈を試みることができるだろう。解釈とは、その言葉の「意味」と、その言葉の意味に対する彼の「信念」を解明することである。 - 解釈=ある人xによる文yの発話を理解すること - ある人xによる文yの発話=yの意味&xの意図 - xの意図=xのyの意味に対する信念 - まとめると、解釈=yの意味&xのyの意味に対する信念の理解 解釈に対する問いは次の二つのものがある: - (問1)解釈を可能にするものとして、我々は何を知りうるのか(Whatの問)。(あとで見る答え:規約T) - (問2)解釈を可能にするものをどのように我々は知ることが出来るか(Howの問)。(あとで見る答え:真とみなす態度を証拠としたテスト) 解釈の問題は、異言語を解釈する場合はもちろん、発話者が解釈者と同じ言語を話す場合においても同様の問題が生じている。それは発話者が本当に同じ言語を使用しているという確証を得ることができないからだ。しかし、解釈の問題を扱う場合は、異言語の解釈、特に根源的解釈のケースを扱うことが様々な前提を見過ごさないために役立つ。## 解釈理論案1(意味の把握説) 問1に対する簡潔な答えは、それは有意味な表現の「意味」に関する知識である。二つの異なる言語の発話に共通する意味を想定するのである。そして、クルトがEs regnetと言った場合、Es regnetの「意味」を自国語で把握した場合に解釈は成立する。例えば: 1. クルトはドイツ語でEs regnetと話していた。 - ドイツ語でEs regnetは雨が降っているということを意味している。 - 従って、クルトは「雨が降っている」を意味する言葉を発していた。 これは解釈には、語や表現からなる一つのメカニズムを導入しなければならない、という重要な示唆がある。しかし、この答えは、問2に答えていないし、また、文の客観的「意味」という役に立たない考えを前提にしている。 - (評価点1)解釈には語や表現からなるある種のメカニズムを導入しなければならない。 - (反省点1)「意味」にのみ解釈の源泉を求めるのは、解釈の証拠基盤を提供する「意図」(そして、これの根底にある「信念」)を無視している。 ## 解釈理論案2(発話=空気の攪拌説) 解釈の説明に要請される概念が当の解釈自体よりも不可解であることが分かると、結局、口頭のコミュニケーションは、人間という主体に属する非言語的行動の間に因果的繋がりを形成している手の込んだ空気の攪拌以外の何ものでもない(つまり、同一である)と考えたくなる。しかし、発話=(非言語的)意図を伴った行為/身体運動という見解は、問1に答えをもたらさない。 - (評価点2)解釈に意図という観点を導入している。 - (反省点2)発話と意図を伴った行為とを同一視する態度は、その「証拠」(意図を伴った行為)と、それが「証明していること」(発話)との関係に関してなにも情報をもたらさない(A=Bという同一律では情報がない)。 ## 案1と案2の反省(証拠と証明していることのギャップ) 反省点1と2により明らかになるのは、解釈における「証拠」(意図/信念を伴った行為)と「証明していること」(発話)との間にはギャップがあり、これを埋めなければならないということだ。そして、これ橋渡しするための試みは次のものである。
## 解釈理論案3(行動主義的証拠による個々の文の解釈) オグデン等の因果説は、行動主義的データを証拠として文の意味を一つづつ別々に分析する。しかし、この試みは複雑で抽象的な文の解釈へ進むことはできない(解釈の範囲が限定され無限にある文に意味を与えることはできない)。 - (評価点3)経験的証拠を解釈のベースに据えようとしている。 - (反省点3)解釈可能な文の範囲が限定されている。(解釈理論は無限にある文のどれをとっても解釈が成立するようなものでなければならない。) ## 解釈理論案4(語の解釈から文の解釈へ向かう) 文はたとえ無限であっても有限な語が結合されることで成り立っているので、語を解釈することで発話(証明しようとしていること)の解釈に到達できる、と考える。しかし、この立場は、「語」の解釈から開始するため、すなわち、語に対する「証拠」が要請される。しかし、語の意味論的特徴(文脈定義)は非言語的現象では説明できないため、この場合の証拠の到達に失敗する。文の前に語に意味論を与えることはできない。 - (評価点4)有限なものから解釈を開始している - (反省点4)語から解釈を開始することはできないので、あくまで文から解釈しなければならない。 ## 解釈理論案5(意図と信念の説明する) 根源的解釈の際に、発話者の文が典型的に伴う意図の「説明」を解釈の証拠にする。しかし、この説明は証拠にはなりえない。なぜなら、「発話者の意図」、「発話者の信念」、そして、「言葉の解釈」は一つの計画の諸部分であり、それらは相互依存の関係にあるため、「発話とは独立的に区別された意図」は理解できないからだ。 - (評価点5)発話の解釈を信念や意図(つまり、発話の理解をまったく前提としないもの)をベースにして行なう。 - (反省点5)信念と意図は相互依存で個別的に説明できない。 ## 解釈理論に課せられている制約 上記のさまざまな解釈理論の反省点を踏まえて冒頭の2つ問の答えに対する制約を具体化する: - **・問1:解釈を可能にするものとして我々はなにを知りうるか** - 制約1-1. 解釈理論は一般的(ある言語のどの発話も理解可能)でなければならない(反省点3より) - 制約1-2. 解釈者が知りうるものは有限な形で表現しなければならない(評価点4より) - 制約1-3. 解釈理論は「客観的意味」といったものに明白に言及してはならない(反省点1より) 制約1-2の補足、有限な表現という要請から全ての言語に通じるような普遍的方法(universal)として解釈理論は諦めなければならない。そして、解釈理論は個別の言語の発話者の発話を解釈者がいかに解釈できるのかを説明することになる。 - **・問2:解釈を可能にするものをどのように我々は知りうるか** - 制約2-1. 利用可能な証拠によって解釈理論は検証されなければならない(評価点3より)。また、解釈理論は一般的なもの(制約1-1)なので個別の解釈事例が一般的解釈事例を検証することになる。 - 制約2-2. 根源的解釈の証拠は、解釈者が解釈する発話を全く知らない場合でも利用できるものでなくてはならない(評価点5より) ## 解釈理論案6(翻訳理論説) 「翻訳理論」こそ解釈理論であるという立場。翻訳理論は、異国語の任意の文から既知の言語へと進むための実効的手続きである。したがって、これは解釈理論は有限の仕方で記述できる方法である(制約1-2を充たす)。しかし、問題もある。 ## 言語間の関係を扱う理論 翻訳理論は、解釈の対象となる言語(対象言語)と解釈を行なう言語(メタ言語)の他に対象言語が翻訳される言語(翻訳主体言語)が必要になる。つまり、この場合の解釈理論は二つの言語間の”関係”を扱うことになる。 L2:メタ言語 (理論の言語) ? ? L1:対象言語 L3:翻訳主体言語 (翻訳する言語) (翻訳される言語) ### 解釈理論案6-1(L1≠L2≠L3) この理論によると、解釈者がL1とL3の意味を知らない場合でも翻訳が成立することになる。しかし、意味が理解できていないので解釈が成立したことにはならない。 - (反省点6-1)解釈理論は発話の意味を理解するための理論であり、これはそれを満たさない。 ### 解釈理論案6-2(L1≠L2=L3) メタ言語と翻訳主体言語が同一である場合、その解釈理論を理解する者は、異国語の発話を解釈するのに翻訳マニュアルを使うことができる。だがここには次の二つの仮定がある。 - (仮定1)L3が解釈者自身の言語であるという事実。 - (仮定2)自身の言語における発話をいかに解釈するかに関する解釈者の知識。 翻訳理論に従い解釈のケースを次のように置き換えると仮定1には問題があるのが分かる: クルトの言語におけるEs regnetは、私の言語において「雨が降っている」と翻訳される。 いかなる解釈者にも有効な一般的な解釈理論においては、この指標的な自己言及(私)は不適当である。また仮定1が解決できたとして仮定2が残っている。 - (評価点6-2)翻訳マニュアルという翻訳する言語から翻訳者の文を作る理論が使える。 - (反省点6-2)解釈理論は、意味論的構造を明らかにする必要がある。 ### 解釈理論案6-3(L1=L2=L3) 自身の言語のため翻訳理論を解釈理論に加えたと仮定した場合、このとき我々は求めていた解釈理論に至るだろう。これは次の二つの理論を両方とも持っているからだ: - **解釈理論に必要な理論1**:構文理論的構造を明らかにする理論(翻訳マニュアル) 翻訳する言語のそれぞれの文に対し、翻訳者の言語の文を作る理論。 - **解釈理論に必要な理論2**:意味論的構造を明らかにする理論 解釈の理論が、これらなじみ深い文の解釈を与える。 既知の言語への言及を余分なものである。そして、この言及が抜け落ちた時、残されたものは、解釈を構造的に明らかにする対象言語のための解釈理論である。 - (評価点6-3)翻訳マニュアルと意味論的構造のための理論が融合することで十全な解釈理論になることが判明した。 - (反省点6-3)解釈の対象となる言語が「私の言語」でなくても意味論的構造を与えるような理論でなければならない。
## タルスキの真理理論 上記の6-3の評価点と反省点を踏まえてデイヴィドソンが注目するのがタルスキの真理理論である。 --- ## 参考文献 1. デイヴィドソン, D. (著)・津留竜馬(翻訳)、『真理と述定』、春秋社、2010
First posted 2012/04/09
Last updated 2012/04/09
Last updated 2012/04/09