• 知識の積み木 Tishiki No Tsumiki
  • HOME
  • Categories
    • 古代哲学
    • 中世哲学
    • 近代哲学
    • 現代哲学(19-20世紀)
    • 現代フランス哲学
    • 現代イギリス哲学
    • 現代アメリカ哲学
    • 言語哲学
    • 科学哲学
    • 心の哲学
    • 認識論・懐疑論
    • 東洋哲学
    • 美学・芸術の哲学
  • About
<< 前へ │ 次へ >>
# 実用主義的傾向#2 ポスト・カルナップ 1930年代において第二次世界大戦のファシズムを避けるため論理実証主義者が多くアメリカに亡命した。 その結果、`ウィーン-シカゴ学派`によるアメリカでの論理実証主義が盛んになり古典的プラグマティズムは時代遅れなものとして衰退した。 しかし、クワインの「経験主義の二つのドグマ」によって分析哲学の頼みの綱であった分析性を批判し、そして、プラグマティズムを復活させた。 これが先駆けとなり`ホワイト(Morton White, 1917-2016)`、`グッドマン(Nelson Goodman, 1906-1998)`らによって論理実証主義を批判しつつ吸収し、論理的厳密性を高めた`ネオ・プラグマティズム`(`ハーヴァード・プラグマティズム`)が発足した。 また、クワインの哲学は弟子のデイヴィドソンに受け継がれた。 そして、クワイン以降、アメリカ哲学において哲学の自然化という傾向が顕著になった。
### クワイン(Willard van Orman Quine, 1908-2000) 彼は、もともとカルナップ主義者であったが、「経験主義の二つのドグマ」という重要な論文において総合・分析判断という伝統的な区別を否定しそれらが同じ地平にあることを示すことにより、論理実証主義とは袂を分かつ。そして、分析と総合の区別を排斥することは、分析哲学の真偽基準を排除することに他ならない。彼は、分析の真偽の判定は、全体においてプラグマティックになされると主張しプラグマティズムを復活させる。クワイン以降、分析命題のような必然的真理を否定し、また、これらを自然化する傾向が顕著になる。 経験主義の五つのマイルストーン([英]Five Milestones of Empiricism) クワインはこの小論文において経験主義の五つの転回点をしめす:
  1. 観念から言語への転回
  2. 名から命題(語から文)への転回
  3. 命題から命題のシステムへの転回(第二ドグマから全体論へ)
  4. 分析・総合の二元論から全体論の一元論への転回(全体論による第一のドグマの否定)
  5. 認識論の自然化への転回
3と4は彼の「経験主義の二つのドグマ」において示される。そして、5は「自然化された認識論」において提示される。 経験主義の二つのドグマ([英]Two Dogmas of Empiricism) この論文においてクワインは、伝統的な知識における分析・総合という二元論的区別の根拠はどれも循環しており根拠のないドグマであるとして否定する。またもうひとつのドグマである還元主義におけるドグマは、科学理論を構成する言明を個別に取り出し、それに対し検証を行うというものである。つまり、言明と検証が一対一の関係として成り立つと考える。しかし、クワインによると、あらゆる言明は複雑にそして連続的に連関しあっているため(「連続主義」)、言明と検証の一対一の関係は成立しておらず、言明を個別に取り出し検証を行うことはできないという。このように、言明における明確な区別は存在せず、従って分析・総合という区別を還元主義に頼ることもできない。 全体論([英]holism) クワインは、ドグマに基づく経験主義を否定し、ドグマなき経験主義として、全体論を唱える。それによると、理論を様々な連続する言明によって構成されるひとつの全体として捉える。そして、この全体論によると、あらゆる理論はそれを構成する補助仮説を修正したり付け加えることで整合性を保つこと(感覚に反しないようにすること)が可能である(`全面的改訂可能論`)。そして、クワインは、分析と総合の明確な区別はなくなったのだから、この主張を分析判断にまで拡張する。つまり、それを否定するのが合理的ではないような言明(例えば、排中律)なども、この言明全体の構成要素を修正することによって全体を否定することが可能であるという(非古典論理学ではそういった試みもなされる)。しかしだからといって、数学や論理学の厳密性、必然性を否定するのではなく、クワインはプラグマティックにそれを特徴付ける。つまり、それらは万人において改訂し難いがため必然とされるのである(「他の学説にとって新しい真理は発見であるが、プラグマティズムにとってそれは発明である」(\*1))。 「経験論の二つのドグマ」へ 自然化された認識論([英]Epistemology Naturalized) 上の指摘により、分析的な判断の領域は総合的な判断の明確な領域は消失した。これはつまり、哲学と自然科学の明確な境界が消失したことを表す。それは哲学が他の学問と同列の立場になると同時に、他の科学の学問が使用可能になるという。
私は哲学と科学を同じ船の中に[....]乗り合わせているものと見なす。(\*2) 要引用箇所
これを認識論の自然化という。これは哲学における妥協である。つまり、`ヒューム`や`カルナップ`が挑戦したように、外在的な知識を内在的に正当化するという試み自体不可能なことであったのだ。クワインはこれをジョークを交えてこういう:
ヒュームの窮地は、人間(ヒューマン)の窮地である。 要引用箇所
これにより、学説的な知識の基礎付けを放棄し、認識論は自然科学、特に心理学に吸収される。これにより、心理学、脳科学、生物学などの知識を使用するあらたな認識論として再出発する(認知哲学など)。 翻訳の不確定性([英]indeterminacy of translation) カルナップは分析性を説明するのに、規約主義の立場に立ち、ある命題が分析的であるのは、それが規約によって個別に定められているからであると説明する。しかし、この主張は、ある客観的真理によって分析的命題が成立しているのではなく、個々の命題における規約によって成り立っているという相対主義を内包する。そして、クワインはこれにより、客観的で共有可能な真理を否定する。つまり、文化間における概念図式は相対的で、異なる概念図式を前提する言語の翻訳は不可能であるとする。例えば、「机」という語を「table」という語に翻訳する際、通常二つが共通する本質的性質を理解しているために翻訳が可能であると考えるが、クワインはこの本質的理解そのものを不可能なものであるとする。また`チョムスキー(Avram Noam Chomsky, 1928- )`によると、この翻訳の不確定性の議論はなにも翻訳に限ることはなく、あらゆる科学分野に適応できる(服部p98)。 様相論理批判 クワインによると、様相命題を量化すると、内部量化のように代入可能性の原理に反するため、それは、指示の不明瞭な文脈であるという。
  • 著作/論文
  • 「経験主義の二つのドグマ」Two Dogmas of Empiricism (1951)
  • 『ことばと対象』Word and Object (1960)
  • 「自然化された認識論」Epistemology Naturalized (1969)
--- ### デイヴィッドソン(Donald Herbert Davidson, 1917-2003) (言語哲学)意味の真理条件論 デイヴィドソンはクワインの言語観を受け継いで、あくまでも言語を外延的に捉えようとした。そして、外延的に意味論を構築することによって師の翻訳の不確定性という相対的な帰結を乗り越えようとした。この外延的な意味論の構築に援用するのが、タルスキの真理論である。タルスキは、外延的に真理を定義する理論を提唱していた。それは、「文「S」は真である ⇔ p」と表される。このT文において、文「S」はpの翻訳であると意味を(`規約T([英]Convention T)`)において前提にしており、これによって真理条件を外延的に体系低に演繹できるようにした。デイヴィドソンは、この真理条件が、文に意味をもたらすものであるとする。 観念論的立場による反相対主義 根源的翻訳の不確定性を唱えたクワインは、言語相対主義の立場をとる。それによると、言語は`概念図式([英]Conceptual Scheme)`を前提としているが、客観的で共有可能な概念図式は存在しない。そのため、異なる言語を話す他者の意図を汲み取ることはできず、翻訳は不可能であるとする。しかし、デイヴィドソンによると、他者の言語を概念図式を前提とし「翻訳」することは不可能であるが、相手の意図を経験的に「解釈」することは可能である。そして、彼は、`寛容の原理([英]principle of charity)`に従ってあくまでも一人称の立場から解釈を根源的な他者理解の方法論であるとする。還元すれば、デイヴィドソンは、「観念論的立場」(野矢p315)をとる。そして、まったく理解できない言語は、“言語ではない”という立場である。もちろん、それが言語である可能性は確かに存在する。だが、扇風機の音が翻訳できないだけで言語であるという可能性も同じように存在する。そのため、理解(翻訳)できないものは言語ではないと考える。そして、ガヴァガイの例で扱っていく言語は、翻訳可能性(もしくは部分的に翻訳可能性)を持つ言語である。 - 第三のドグマ批判 - (心の哲学)`非法則的一元論([英]Anomalous Monism)`
  • 著作
  • 『真理と解釈』Inquiries into Truth and Interpretation (1986)
  • 『碑銘をうまく乱すこと』A Nice Derangement of Epitaphs (1986)
--- ## 注
  • \*1. 『分析哲学とプラグマティズム』p281で引用されているベルクソン「思考とは動くもの」より。
  • \*2. これはノイラートが提示した比喩であり、`ノイラートの船([英]Neurath's boat)`と呼ばれる。そして、彼にとって船の乗組員は科学者のみであったが、クワインによって哲学者も乗船することになる。
--- ## 参考文献 1. 小林一郎 (著)、『西洋哲学史入門』、金港堂出版部、1998 1. 杖下隆英ほか (編集)、『テキストブック 西洋哲学史』、有斐閣、1984 1. 新田義弘ほか (編集)、『岩波講座 現代思想〈7〉分析哲学とプラグマティズム』、岩波書店、1994 1. 服部裕幸 (著)、『言語哲学入門』、勁草書房、2003 1. 原佑ほか (著)、『西洋哲学史』、東京大学出版会、1955 1. 山崎正一 (著)、『講座現代の哲学〈3〉プラグマティズム』、有斐閣、1958
First posted   2011/02/27
Last updated  2012/02/08
<< 前へ │ 次へ >> │ 一番上に戻る

index

  • 古代哲学
  • 中世哲学
  • 近代哲学
  • 現代哲学(19-20世紀)
  • 現代フランス哲学
  • 現代イギリス哲学
  • 現代アメリカ哲学
  • 言語哲学
  • 科学哲学
  • 心の哲学
  • 認識論・懐疑論
  • 東洋哲学
  • 美学・芸術の哲学