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# 実用主義的傾向#2 ポスト・カルナップ 1930年代において第二次世界大戦のファシズムを避けるため論理実証主義者が多くアメリカに亡命した。 その結果、`ウィーン-シカゴ学派`によるアメリカでの論理実証主義が盛んになり古典的プラグマティズムは時代遅れなものとして衰退した。 しかし、クワインの「経験主義の二つのドグマ」によって分析哲学の頼みの綱であった分析性を批判し、そして、プラグマティズムを復活させた。 これが先駆けとなり`ホワイト(Morton White, 1917-2016)`、`グッドマン(Nelson Goodman, 1906-1998)`らによって論理実証主義を批判しつつ吸収し、論理的厳密性を高めた`ネオ・プラグマティズム`(`ハーヴァード・プラグマティズム`)が発足した。 また、クワインの哲学は弟子のデイヴィドソンに受け継がれた。 そして、クワイン以降、アメリカ哲学において哲学の自然化という傾向が顕著になった。### クワイン(Willard van Orman Quine, 1908-2000) 彼は、もともとカルナップ主義者であったが、「経験主義の二つのドグマ」という重要な論文において総合・分析判断という伝統的な区別を否定しそれらが同じ地平にあることを示すことにより、論理実証主義とは袂を分かつ。そして、分析と総合の区別を排斥することは、分析哲学の真偽基準を排除することに他ならない。彼は、分析の真偽の判定は、全体においてプラグマティックになされると主張しプラグマティズムを復活させる。クワイン以降、分析命題のような必然的真理を否定し、また、これらを自然化する傾向が顕著になる。 経験主義の五つのマイルストーン([英]Five Milestones of Empiricism) クワインはこの小論文において経験主義の五つの転回点をしめす:
- 観念から言語への転回
- 名から命題(語から文)への転回
- 命題から命題のシステムへの転回(第二ドグマから全体論へ)
- 分析・総合の二元論から全体論の一元論への転回(全体論による第一のドグマの否定)
- 認識論の自然化への転回
私は哲学と科学を同じ船の中に[....]乗り合わせているものと見なす。(\*2) 要引用箇所これを認識論の自然化という。これは哲学における妥協である。つまり、`ヒューム`や`カルナップ`が挑戦したように、外在的な知識を内在的に正当化するという試み自体不可能なことであったのだ。クワインはこれをジョークを交えてこういう:
ヒュームの窮地は、人間(ヒューマン)の窮地である。 要引用箇所これにより、学説的な知識の基礎付けを放棄し、認識論は自然科学、特に心理学に吸収される。これにより、心理学、脳科学、生物学などの知識を使用するあらたな認識論として再出発する(認知哲学など)。 翻訳の不確定性([英]indeterminacy of translation) カルナップは分析性を説明するのに、規約主義の立場に立ち、ある命題が分析的であるのは、それが規約によって個別に定められているからであると説明する。しかし、この主張は、ある客観的真理によって分析的命題が成立しているのではなく、個々の命題における規約によって成り立っているという相対主義を内包する。そして、クワインはこれにより、客観的で共有可能な真理を否定する。つまり、文化間における概念図式は相対的で、異なる概念図式を前提する言語の翻訳は不可能であるとする。例えば、「机」という語を「table」という語に翻訳する際、通常二つが共通する本質的性質を理解しているために翻訳が可能であると考えるが、クワインはこの本質的理解そのものを不可能なものであるとする。また`チョムスキー(Avram Noam Chomsky, 1928- )`によると、この翻訳の不確定性の議論はなにも翻訳に限ることはなく、あらゆる科学分野に適応できる(服部p98)。 様相論理批判 クワインによると、様相命題を量化すると、内部量化のように代入可能性の原理に反するため、それは、指示の不明瞭な文脈であるという。
- 著作/論文
- 「経験主義の二つのドグマ」Two Dogmas of Empiricism (1951)
- 『ことばと対象』Word and Object (1960)
- 「自然化された認識論」Epistemology Naturalized (1969)
- 著作
- 『真理と解釈』Inquiries into Truth and Interpretation (1986)
- 『碑銘をうまく乱すこと』A Nice Derangement of Epitaphs (1986)
- \*1. 『分析哲学とプラグマティズム』p281で引用されているベルクソン「思考とは動くもの」より。
- \*2. これはノイラートが提示した比喩であり、`ノイラートの船([英]Neurath's boat)`と呼ばれる。そして、彼にとって船の乗組員は科学者のみであったが、クワインによって哲学者も乗船することになる。
First posted 2011/02/27
Last updated 2012/02/08
Last updated 2012/02/08