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# プラトン「メノン―徳について―」 徳をめぐる対話編「メノン」はプラトン初期から中期に移行した時期であるBC402年頃に書かれたものであるとされている。この対話編中心となるテーマは「徳」であり、対話者であるメノンと会話することによって、徳とはなにかといった問題に触れてゆく。プラトンはこの対話編で初めて想起説といった自らの思想を表現する。 ## 第一部71e-80d ### メノンによる徳の定義その一 この対話編での中心的テーマとなるのは徳である。まず対話の冒頭にメノンがソクラテスに「徳は教えることができるか」といった質問を切りだす。それに対しソクラテスはそもそも「徳とは何か」という質問を持ち出し、メノンに答えを求める。そしてメノンは「男の徳、女の徳、子供の徳」などギリシャの習慣に従った様々な徳の“具体例”を持ち出すが、ソクラテスはそれらすべての徳に共通する徳の“本質”を回答として要求する。例えそれら[メノンが挙げた様々な徳]が多くあったとしても、様々な種類があったとしても、それら全ての徳はある一つの共通する相[本質]を持っているはずである。(72c)### メノンによる徳の定義その二 そこでメノンは「人々を支配することが徳である」と定義しなおす。しかし、ここでも「奴隷が雇い主を支配するのが徳であるわけがない」といった指摘を受ける。そして、次に彼は「正義こそ徳である」と主張するが、同時に勇気や節度などの観念も徳であると認め、またしてもそれらすべてに共通する唯一の徳を提出するに至らない。ここで重要なのはメノンが再度ソクラテスの要求を上手く消化できていない点である。つまり、ソクラテスが「色」や「形」の例を用いて説明するように、メノンは「徳とは何色であると答えている(男女の徳や勇気などの個別の事例を一般化している)」のだが、ソクラテスが求めているのは「徳(色)そのものとは何か」といったより包括的で本質的な問題である。 ### メノンによる徳の定義その三 途中、ソクラテスによる形と色の具体的な定義づけにより、本質の捉え方をメノンに教授した後、メノンは「徳とは美しきものを欲し、またそれを得る能力があること」であると詩を用いて提言する。そこでソクラテスはこの定義もまたやはり本質について言及していないことを証明するのだが、手順はこうである。
- 最初にソクラテスはメノンが言った「徳とは美しきものを欲し、またそれを得る能力があること」という定義の「美しいものを欲し」という箇所を吟味する。
- そして、彼はメノンに「美しいものは善いものと同一である」ということを認めさせたうえで、さらに次の悪に関する区別に同意を得る。
- (1) 悪しきものを求める者もいる
- (2) 悪を善と思って望む者
- (3) 悪を悪と知って望む者
- (3-1) 悪が有益であると思っている者
- (3-2) 悪が害をなすと知っている者
- そして、(3-1)と(2)は同一であり、両方とも悪が悪と知らずに悪しきものを求めているが、実際には(3-1)と(2)は善きものを求めている。
- 次に(3-2)であるが、人々は害を受けて惨めになることを知っているし、それは不幸なことである、そして不幸を望むものはいない。
- よって(3-2)も否定される。
全く知らないものをどうやって探求することができるのか?なぜなら、手がかりすら知らなのだから。(80d)といったパラドキシカルな質問をソクラテスにぶつける(メノンのパラドックスと想起説)。つまり、ソクラテスが答えに要求する物事の本質はそれらの下位的知識から知ることができない。つまるところ、「徳と何か?」を知ることは不可能ではないかといった主張である。このパラドクッスに対してソクラテス(プラトン)は`想起説(anamnesis)`といった、自身の思想をあらわにする。これは、ピュタゴラス教団の輪廻転生説の影響を受けたものであると推測されており、後のイデア論と密接に関係するものである。81cを簡単に要約すると、 魂は不滅でこの世とあの世(ハデスの国)を何度も行き来しているため、魂事態はあらゆることを経験している。それでいて、その魂が経験したことを思い起こすことが、普段我々が学ぶと名づけていることである。 つまり、我々は理性という内なる概念的、観念的知識をアプリオリに持ち合わせており、経験や鍛錬によって刺激され思い起こすというのである。ソクラテスは「想起説」をメノンの召使との図形の問答によって証明しようとする。まず、ソクラテスは2ft×2ft=4ftであることを認めさせ、次にその四角形の辺を二倍にした場合の面積を尋ねる。すると、召使は8ft?であると答える。これはもちろん、間違いであるので、直ちに図形を用いてその間違いを認めさせ、4ft×4ft=16ft?であることを導く。そして、次に、8ft?の一辺はいくつかというソクラテスの質問に対して召使は、はっきりと「分からない」と答える。これこそ、ソクラテスの助けを借りて平方形の求め方を想起したのであり、それをはっきり理解したからこそ8ftの一辺の求め方が分からないことを知ったのである。さて次に、召使は8ftの求め方を知らないが、ソクラテスが対角線という技術を教えることによって、正方形を正確に2分することができ、結果8ft?を導くことを発見する。このように、対角線や面積の求め方、または図形の概念を理性を用いて想起し真実に到達したのである。 ## 第三部 86c-100c 「徳とは何か」という質問を棚上げして、「徳は教えることができるか」を再度探求する。そのさい、プラトンの`弁証法的(dialiktike)`順序を用いる。つまり確かであると思われる前提を仮設しそこから導き出された結論を検証することでより確かな無矛盾な知を探求するというものである。 ### 徳は教えることができるか?(「徳は知である」) 1. もし徳が知なら、それは教えることのできるもの) 2. 徳は善である 3. すべての善きものは有益 4. 徳は有益(from 2,3) 5. 外的なもの(健康、富、強さなど)、心的なもの(節制、正義、勇気など)に関わらず有益なものはすべて知を伴い有益となる。=全ての有益なものは、知を伴っている。 6. 徳は(どのようなものであろうと有益なものである限りそれは)知を伴っている。(from 4,5) 7. 有益なものは知である。(from 5,6論理的に飛躍している?p79) 8. 徳は知である。(from 7,4) 9. 徳は教えることのできるもの(from 8,1) ### 徳の教師を探す-アニュトスとの問答- このように前提を基に結論したのだが、ソクラテスは首をかしげる。それは「徳を教えることができるのであれば、徳の教師がいるはずだが見当たらない」からだ。そして、次はその徳の教師の探求に入るのだが、その際、アニュトスという人物が加わる。ソクラテスは、自らが教師を名乗り報酬を得て技術を教えるのが教師だとしたら、徳の教師とはソフィストであるという。しかし、アニュトスはその答えに難色を示し、(ソフィストと一切付き合ったことが無いにもかかわらず)、否定する。ソクラテスは、次にアニュトスに回答を求めたところ、彼は優れた政治家をあげるが、彼らの息子は徳のある人物ではない。つまり、徳は教えることができず、徳の教師はいないとソクラテスは指摘し、「徳は教えられる」は否定されることになる。そして、対話者をメノンに戻し、徳の教師はそちらの国いるかと聞いたところ、あるものは教師はいるといい、あるものはいないというだろうし、意見は一致しないだろうという。そんなあやふやな意見を持つ者は教師だとは言えないとソクラテスは指摘する。そして結局、疑う余地無く万人が認める「徳の教師」は見つけることができないという事実によって「徳を教えることはできる」という命題は間違えであったと結論し直すことになる。 ### 論証の再検討 では上の「徳は知である」を導いた論証のどこに間違いがあったのだろうか。ソクラテス曰く、人間の行為が正しく行われるのは知識による(5)場合のみではなく、`正しい思惑(alethes doxa)`という可能性もあり、「正しい知識」と比べても表面的にはなんら変わらない。正当化されていない、さらには間違った知識であっても現実と正確に適応する場合もある(例:フロンギストン)。ということは「正しい思惑」も「有用なもの」である。では「正しい知識」と「正しい思惑」はどこに違いがあるのだろうか?ソクラテスはダイダロスの像の例を挙げてこういう、「正しい思惑」を「想起」によって正当化、根拠付けることによって魂の内に縛り付け、それを「知識」に成熟させ、また永続的なものにする。正しい思惑と知識を隔てるのは「想起」であり、この点に知識が思惑よりも価値があるという。次に「正しい思惑」と「正しい知識」が導く双方の外面的な結果はなんら変わらない。したがって、優れた人物をそのようにたらしめる要因は知識だけでなく、正しい思惑という可能性もある。そしてそのどちらもアプリオリな知識ではない。また上の議論で見たように徳の教師はいないので徳は教えられることではなかった。そしてその結論と(1)から導き出されたのは、「徳は知識ではない」ということになる。すると有名な弁論家や政治家などの優れた人物たちも、知識としての徳を持っていたわけではなく「正しい思惑」を持っていたに過ぎない。そして、知識が無いのに思惑のみで成功をおさめるのは神がかっている(迷路を当てずっぽのみで迷わずでるようなもの)。よってソクラテスの結論は「徳は神の恵みによって備わるもの」(100b)(徳は想起によってもたらされる)であるという。 ソクラテスは「徳は知である」と考えるが、このテーゼにおける知は我々が考えるような単純に学習可能な命題知ではなく(アリストテレスはこれをパトスを無視しているものとして批判する)、想起によってもたらされる。そして、プラトンは自らの思想を`神話(ミュートス)`を用いて表現するため、これは何かしらの比喩表現であると推測できる。想起はさまざまに解釈されるが、ひとつの解釈でカント主義的な解釈によると、想起とは人間に本性的に備わっているアプリオリな認識要素であるとされる。 --- ## 参考文献 1. プラトン (著)・藤沢令夫(翻訳).『メノン』、岩波文庫、1994
First posted 2006/10/23
Last updated 2011/08/20
Last updated 2011/08/20