# 現代哲学史#2-2 実証主義的傾向:イギリス
## イギリスの実証主義(進化論哲学と功利主義)
コントに始まった実証主義的傾向は、イギリスにまで波及する。イギリスにはもともとロックを源とする経験主義的傾向があったため、これを受け入れる土壌があった
(\*1)。実証主義的傾向は、J.S.ミルなどの功利主義やスペンサーの総合哲学において色濃くあらわれる。
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### ベンサム(Jeremy Bentham, 1748-1832)
イギリスでは、エルヴェシウスの影響の下、ベンサムや`ジェームズ・ミル(James Mill, 1773-1836)`らによって功利主義という倫理的立場が始まった。
功利主義(utilitarianism)
彼は、まず幸福を快楽、不幸を苦痛であると規定した(快楽主義)。そして、人間の活動の源泉を、「苦痛の除去」と「快楽の追求」の2つであるとした。そして、道徳的な行為とは社会における最大幸福をもたらすものであるとする。これは、`最大多数の最大幸福(the greatest happiness of the greatest number)`と表現される。つまり、より多くの人間に多くの快楽(幸福)をもたらすことが道徳的であり、社会的・政治的決定は、この原理に従うべきとする。
快楽計算
功利主義の根本である、快楽と苦痛は個人に限定される利己的なものではなく社会の構成員全てにおいて平等に考慮されたものである。そのため、ベンサムは、七つの快楽の客観的基準(強度・持続性・確実性・遠近性・多産性・純粋性・範囲)を設けて、快楽を量的に、数学的に計算しようとした。これは、同じ出来事から、全ての人間がまったく同等の快楽や苦痛を得るということを前提にしている。
- 著作
- 『道徳と立法の原理序論』An Introduction to the Principles of morals and Legislation (1789)
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### ミル(John Stuart Mill, 1806-1873)
ミルは帰納法を組織化して科学の基礎付けを行い、また、この帰納的手法をコントと同じく社会科学に応用する。
帰納法の組織化
コントの実証主義に影響を受けたミルは、認識の拡張である帰納法を重要視しそれを科学的手法として組織化した。しかし、その彼もまた、自然の斉一性の原理というような曖昧な原理を前提としている。つまり、個別の事例から普遍命題を導くのに心理学的原理に依存している。結果として、彼は帰納法を肯定的にとらえ技巧的に発展させるが、原理的にはヒュームの懐疑論を克服していない。しかし、このような帰納法が不完全だからといって、それは科学にとって無益であるということにはならない。
快楽の質
ミルはこの功利主義を批判的に継承する。まず彼はベンサムの快楽計算を再考する。そこにおいてベンサムは快楽の量しか考慮せず質を無視していた。例えば、あるひとりの男が財産を分与する際、一人の貧乏な男に贈与するか、多くの裕福な人間に分与するか、どちらが全体の幸福を高めるかという問題に対し、貧乏な男に財産を分与し、彼がどれほど幸福(快楽)を得ようともそのような幸福の質は考慮せず、あくまで量で考えるため、ベンサムは後者の多くの裕福な人間に分与するほうが全体を幸福にすると考える。
これに対してミルは快楽に質の概念を取り入れる(高級な快楽と低級な快楽)。それは「満足な豚より不満足な人間であるほうがよく、満足な愚者より不満足なソクラテスであるほうがよい」と表現される。`高級な快楽(higher pleasure)`とは知的な快楽であり、低級な快楽とは肉体的なものである。しかしこのような快楽を区別する共通の基準などというものが存在するのだろうか。このような客観的な基準を主観的な要因に適応できると考える傾向はG.E.ムーアに「自然主義の誤謬」によって批判される。
自由論
ミルは功利主義から「自由論」に至る。これによると、社会に害をもたらさないことであれば人は何をやってもかまわないという自由を有する、これがミルの自由論における基本的な主張である。しかし、他方、他人に危害を及ぼす行為はそれが自分がしたいことであっても抑制するべきである、という`危害原理(the harm principle)`を主張する。この自由論は功利主義に支えられている。つまり、人間は自らの行為を危害原理の範囲内でいろいろ試みてみる(生活の実験)自由があり、それを認めることによって、結果として社会の構成員に最大幸福をもたらす。そのため、社会に危害を加えない範囲で個人の自由(個性)を認めるほうが、社会にとってはるかに有益であるという。この、倫理的な議論は、同性愛や表現の自由を正当化する際にしばし引き合いに出される。しかし、この自由論は、実は功利主義ではないとして、また、楽観主義として批判される。
指示論
ミルは、『論理学体系』で言語哲学の指示論における古典的な直接指示の理論を考案している。直接指示という考えは、ラッセルの記述理論によって時代遅れなものとなるが、クリプキの可能世界意味論で復活する。
ちなみにミルはバートランド・ラッセルの名づけの親である。イギリスにおける実証主義的傾向はラッセルから始まる分析哲学に受け継がれることを見ると、これは象徴的な出来事である。
- 著作
- 『論理学体系』A System of Logic, Ratiocinative and Inductive (1843)
- 『自由論』On Liberty (1859)
- 『功利主義』Utilitarianism (1863)
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### スペンサー(Herbert Spencer, 1820-1903)
イギリスにおける実証主義的傾向は新たな経験論として現れる。その担い手となるのがスペンサーの進化論哲学である。彼の進化論はダーウィンのものとは異なるが、ダーウィンの進化論がもたらした大きな衝撃の波が彼の思想を広めたのも事実である。
進化論哲学と総合哲学(synthetic philosophy)
スペンサーの進化論哲学によれば、自然におけるあらゆる発展・進化(Entwicklung)は、ヘーゲルがいうような弁証法の結果ではなく、自然がもつ本質そのものである(弁証法とは異なる発展の法則)。そして、この自然における進化の本質は生物だけに関わらず、無機質なものから精神的・倫理的なものにまで及ぶ原理であると考え(進化の法則を社会に適応する「社会有機体説」)。この原理によって全ての学問を領域を統一しようと試みる。つまり、各領域に共通する法則を見出し、それによって統一的な知識を獲得しようという試みである。ここには経験的知識を集めて推論し知識を機能的に獲得するという実証主義的傾向が表れている。
不可知論(agnosticism)
スペンサーの「哲学の体系」の「第一原理」において、実証主義的立場に立ちつつ、科学知識の限界を認める。例えば、科学において、時間・空間・運動・力・自我などの概念を平然と使うが、それらの概念を詳細に眺めて見ると、我々はそれらについてなにも理解していないし、理解できないということに気づく。これらの概念が本質は我々には`不可知(unknowable)`である。また、科学的知識は個々の知識からそれらを包括する知識を導くが、その最終にある知識は何者にも包括されない。そのため、科学知識が行き着く知識は理解し、説明することができない。加えて、科学的知識は個々の知識を他と比較することによって研錬されるが、絶対的知識は唯一のものであるため、それを精査することはできない。そして、このような科学に対する相対主義的な不可知論から、科学の基礎付けを宗教に担わせる。ここで宗教と科学が融和する。
- 著作
- 『総合哲学の体系』A System of Synthetic Philosophy (1862-1896) 全十巻
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## 注
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## 参考文献
1.
岩崎武雄 (著)、『西洋哲学史』、有斐閣、1975
1.
岩崎允胤ほか (編集)、『西洋哲学史概説』、有斐閣、1986
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ウォーバートン, N. (著)・船木亨(翻訳)、『入門 哲学の名著』、ナカニシヤ出版、2005
1.
岡崎文明ほか (著)、『西洋哲学史 理性の運命と可能性』、講談社、1997
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杖下隆英ほか (編集)、『テキストブック 西洋哲学史』、有斐閣、1984
1.
原佑ほか (著)、『西洋哲学史』、東京大学出版会、1955
1.
ヒルシュベルガー, (著)・高橋憲一(翻訳)、『西洋哲学史〈2〉中世』、理想社、1970
1.
峰島旭雄 (著)、『概説 西洋哲学史』、ミネルヴァ書房、1989
First posted 2009/04/11
Last updated 2012/02/07