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# 前期ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」#6 語りえぬもの:論理 以下、W=ウィトゲンシュタイン ## 7. 語りえぬもの:論理 独我論によって、論理空間の基底とはどのようなものか見た。それは、存在論的経験の総体によって構築された「私の世界」である。次に見るのは、その「私の世界」を土台とした論理(また数学)についてである。この、論理の必然性はどのように説明されるのかということが問題となる。 Wの議論に移る前に確認しておくと、論理・数学における必然性に対する解釈は複数あり主要なもの一つが、ラッセル・フレーゲが採用する、「プラトニズム」である。 それによると、論理定項それ自体が実在的指示対象をもつと結論する。数学においても同様で、いわゆるイデア的で超越的真理が存在し、数学や論理の秩序を規定するという。 これにより数学や論理の命題必然性は説明される。また、もうひとつ主張は、論理実証主義者などが採用するもので、「規約主義」と呼ばれる。それには、論理などにおけるの必然性は規約によってそう定められているからであるとする。詳しくは下でみる。 ### 1. 論理学の命題はトートロジーである Wは解釈はフレーゲ・ラッセル流のプラトニズム的を跳ね除け、論理定項の意味や必然性のイデア的解釈を否定した。そして、Wによる論理に関して次のように言う:論理学の命題はトートロジーである(6.1) 論理学の命題はなにも語らない。(それは分析命題である。)(6.11)4-2で真理関数と極端な真理条件群を持つトートロジーと矛盾にすでに触れた。そして、これは命題は三つに大きくけることができると言い換えることができる。それは次の三つである。 - トートロジーと矛盾(論理的手続きで真偽判断可能な命題) - 真でも偽でもありうる命題(経験によって真偽判断可能な命題) - 他二つの命題に当てはまらず分析できない命題(形而上学的命題) そして、論理的命題と言いえるのは、分析的な命題であるトートロジーかその否定である矛盾のみである。論理的推論とは、前節の5でみたが、P→Qという命題において推論される命題Pの真理領域が導かれる命題Qの真理領域に含まれているのが正しい推論であった。これは、つまり命題を分析した場合トートロジーであることを意味する。例えば、「ソクラテスは人間である」という命題において、ソクラテスという名に人間であるという言明が含まれており、分析すると、「人間は人間である」というトートロジーが含まれている。それ故に論理的命題は常に真実である。 また、このようなトートロジーとはならないこれ以外の命題は分析的な命題ではないく、経験によって真偽が判明する経験的命題であるとする。つまり、カントが言うようなアプリオリな総合判断を否定し、すべての論理・数学命題をアプリオリな分析判断に還元する。そして、経験的命題は、経験によって真偽が判明するため、自然科学が取り扱う命題群となる。そして、三つ目の命題は、分析することができないため、ナンセンスで語りえぬ命題である。 ### 2. 論理実証主義者の誤解と規約主義の困難 この「論理とはトートロジーである」という主張は論理実証主義者たちが注目した主張であり、彼らはこの主張を誤読し、形而上学排斥という極端な科学主義の立場にたつ。彼らにとっても論理・数学における必然性は問題であった。そして、Wの先の主張から、論理・数学における命題は規約によって真である命題であると結論する。規約主義の主張は、論理などにおける必然性は単純に「そのように決められているから」というものである。2+3はなぜ5か?なぜならそのように加法法則(ペアノ算術、プレスバーガー算術など)が定められているからである。 しかし、この規約約主義による必然性の説明は、パラドックスを内包しているため批判される。それは、A→Bという推論関係を表した命題で、AだったらならばBであることを意味し、規約主義はそのように決められているからと説明する。しかし、 - (1) A→B - (2) A というふたつの前提だけでは、どのような規約が働いてBを導くか説明されない。従って、これに加えて、次の規約(modus ponens)を取り入れなければならない。 - (3) この二つの前提がBを導く、 しかし、もし、規約(3)を認めなかったら推論は成立しないため、この(3)を含めた新たな規約(4)を想定しなければならない。 - (4) (1),(2),(3)がBに導く そして、これは無限後退に陥り、永遠に規約によって必然性を基礎付けることはできない(\*1)。 ### 3. Wによる必然性の説明 上に見た一連の流れは『論考』以後のことなので、Wが規約主義の困難をはっきり理解していたかは分からないが、Wは規約主義でもプラトニズムでもない立場をとる。 彼によると、ある命題の真理条件群を操作しトートロジーとすることで、論理的命題となり真となる。 そして、操作しえない命題はナンセンスな命題となる。つまり、論理空間における真理条件群の真理操作こそ論理の核である。 この操作の必然性の説明は規約主義のパラドックスで失敗する。そこでWは、論理の操作は、超越論的に、もしくはアプリオリになされるとする。
論理は超越論的である(6.13)そして、このアプリオリ性は語りえない。もし語ろうとすれば、規約主義が陥ったパラドックスのように無限後退せざるを得ない。そのため、論理は経験によって把握することはできないが、語るための根本条件である。そのため、それは超越論的と呼ばれ、それ自体は示しうるが語りえない神秘的な領域であると結論する。 --- ## 注
- \*1. このパラドックスは、ルイス・キャロルのパラドックスと一般的に呼ばれる。またWは「不思議の国のアリス」の作者で数学者であったルイス・キャロルを高く評価していたという。
First posted 2009/02/04
Last updated 2009/02/04
Last updated 2009/02/04