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# 固有名の古典的理論#2-1 記述の束説(サール) ラッセルによると、固有名には確定記述が結び付けられており、固有名は確定記述の省略である。しかし、そうすると固有名の意味は相対的になるという問題があった。このことからサールは固有名に分析的に対応するのは厳密な確定記述ではなく曖昧な記述の束であるとする記述の束説を提唱する。 ## 固有名は意味をもつか? サールは古典的なミルの固有名の理論とラッセルの固有名の記述説が共に袋小路に至ることを示した後(※1)、「固有名は意味をもつか?」(問1)と問う。彼はフレーゲの意義(Sinn)を探求する。この疑問を彼は、「主語が固有名で述語が記述表現である命題の中に分析的命題は存在するか」(問2)という問いに置き換える。これは、つまり「固有名には記述が分析的に結びついているか?」という問いである。また、この問2も二つの解釈が存在する。一つは、問2における「記述表現」を限定しない弱い解釈(弱い問2)。他方は、「記述表現」を「同定記述」に限定する強い解釈(強い問2)である。 弱い問2に対する回答は容易である。なぜなら、対象の同一性を保証するために、対象にはある記述が分析的に結びついているからである(※2)。例えば、「エベレストは山である」は分析的命題である。ここでは固有名「エベレスト」に「山」という一般名辞が分析的に結びついている。そのため、弱い問2に対してはYESとなる。 問題は、強い問2である。これを言い換えると、「固有名には同定記述が分析的に結びついているか?」である(ラッセルは固有名は記述の省略とするためYESと答えるだろう)。サールはこの問いこそ問1に答えを与えるものであると考えた。強い問2を考察するには、サールが言う「同定記述」を明確にする必要がある。## 同定記述 先の「エベレスト」が分析的に含意する一般名辞「山」つまり「xは山である」という命題関数のxに当てはまる要素は無数にある。従って、この記述は「エベレスト」に分析的に結びついていても、これはエベレストという対象を同定しえない。しかし、例えば「世界一の高さの山」という記述は対象を同定する。このように対象を唯一のものとして表示する記述を「同定記述」と呼ぶ。これにはもちろん確定記述も含まれる。例えば、「アレクサンダー大王の家庭教師」という記述はアリストテレスを唯一の対象として同定する。また、それは確定記述に限定されるものではなく、複数の非確定記述が連言で結ばれたものであっても対象を同定しうる。例えば、「スタゲイラ生まれのギリシア人の哲学者」は三つの非確定記述が連言で結ばれたもの(スタゲイラ生まれの人&ギリシア人&哲学者)であるがアリストテレスという唯一の対象を同定する。同定記述にはこのように2つのパターンがある。 ここで「ソクラテス」という固有名に関する記述を5つに限定して考えてみる((a)が前に付いている記述は非確定記述で、(the)が付いている記述は確定記述とする): - イ、(a) 古代ギリシャ人 - ロ、(a) 毒人参を飲んで死んだ人 - ハ、(a) 哲学者 - ニ、(a) 世界三大悪妻の一人を妻に持つ人 - ホ、(the) プラトンの師 これらの記述から二つパターンの同定記述と同定記述が成立していないケースは下記にようになる(要素を点で、述語の外延はベン図で表現): - (1),確定記述の同定記述:確定記述で唯一の対象を表示する場合 ホ={ソクラテス} 図1 - (2),非確定記述の連言による同定記述:非確定記述を連言で繋げることによって唯一の対象を表示する場合 イ&ロ&ハ ={ソクラテス} 図5 - (3),対象を唯一のものとして表示するだけの記述を持っていない場合 ニ ={ソクラテス、モーツァルト、トルストイ} 図6 固有名「ソクラテス」に結びついている記述は個人間において異なるが、例えば(1)や(2)のような記述を結びつけている人は唯一の対象を表示しており、つまり、同定記述を有している。彼らはこの固有名を理解していると言える。しかし、(3)のように唯一の対象を決定するに十分なだけの記述を有していない人はその固有名を十分に理解しているとは言えない。対象の理解にはそれに関する記述を全て持っている必要はないが対象を唯一のものとして表示するだけの記述は必要である。
## 記述の束(a vague cluster of descriptions) 例えば、Aさんが上記のソクラテスに関する記述イ~ホを信じているとする。そして、その中の記述(例えば、ロ)が実は偽だったと後で判明したとする。この場合、ラッセルの記述説で考えると、Aさんは固有名「ソクラテス」を誤解していたとなる(※3)。しかし、一つの記述が偽だからといってAさんのソクラテスに対する全ての信念が偽となるわけではない。Aさんのソクラテスに対する”特定の信念”(つまり、ロ)が偽だったに過ぎないのではないか。 これを受けてサールは、固有名には、記述が”選言肢”で繋がれた束が対応しているとラッセル説を修正する。例えば、イ~ホを信じているAさんの固有名「ソクラテス」には「イ∨ロ∨ハ∨ニ∨ホ」という記述の束が結びつけられている(※4)。そのため、Aさんの記述の束の中のいくつかの記述(例えば、ロ)が偽だったとしてもそれ以外の記述(イ∨ハ∨ニ∨ホ)が真でありこれらの組み合わせで唯一の対象を同定しうるのであればAさんのソクラテスに対する理解は偽とはならないのである。 ## 束の中の同定記述 ここで注意しなければならないのは、選言で記述を束ねると対象を絞り込めないという点である(逆に対象を増やす)。そのため、記述の束が対象を同定するのではない。しかし、記述の束の中の記述で対象の同定記述を構成するのである。例えば、Aさんの記述の束(イ∨ロ∨ハ∨ニ∨ホ)に含まれる記述(イ、ロ、ハ、ニ、ホ)から: - イ&ロ&ハ={ソクラテス} - ホ={ソクラテス} - ロ&ニ={ソクラテス} といったソクラテスを同定しうる記述を構成することができる。そして、Aさんが、固有名「ソクラテス」がソクラテスという対象を唯一のものとして表示するための必要条件は、Aさんがこの固有名に結びつけている対象の”記述の束の中に少なくとも一つの同定記述を含んでいること”である。記述の束から一つでも同定記述を構成できるのであれば、Aさんは固有名「ソクラテス」を理解していると言える(※5)。 - 記述の束=対象に関する記述が選言で束ねられたもの(イ∨ロ∨ハ∨ニ∨ホ)。 - 同定記述=記述の束の中で成立し唯一の対象を表示する記述(イ&ロ&ハ={ソクラテス}、ニ={ソクラテス}、など)。 固有名は対象がそれに一般的に関連する「十分であるが曖昧で不特定な数の記述」を満たすものである。サールの説は、固有名に結びついている記述の束がこのように曖昧である。言語の意味にこの曖昧性を取り入れることがラッセル説の重要な修正ポイントである。 ## 固有名の意味は記述の束である 固有名には記述が分析的に結びついている。しかし、サールによると、それは選言肢で結びついている記述の束であるとする。サールは次のように結論する:
「固有名に意味はあるか」という疑問に対する私の解答は、当然、―もしこの疑問において、固有名の使用は対象の特徴を記述したり、特定したりするためのものであるか否かということが問題であるならば、―「否」というものである。しかし、固有名とそれが指示する対象の特徴とが論理的に結びついているか否かということを問題にする限りにおいて、私の解答は、「然り。ただし、あるゆるい仕方(loose sort of way)において」というものである。 [サール, p.300]固有名それ自体に意味があるかという疑問に対してNOとする。そして、固有名とそれが指示する対象に関する記述は分析的に結びついているかという問いに対して、サールは先ほど見たようにこれを弱く解釈した場合(弱い問2)であればYESである。また、これを強い解釈した場合(強い問2)であれば、「あるゆるい仕方において」YESとする(※6)。つまり彼は、固有名には特定の同定記述が分析的に結びついてはいないが(ラッセルの記述説の否定)、固有名には不特定な数の記述の選言、つまり、「記述の束」が分析的に結びついているとする。これが問1の答えになる。固有名の意味とは記述の束である。また、この不特定な数の記述の束が固有名の意味であるのだがそこで束ねれられている記述は不特定で曖昧であるため「あるゆるい仕方」なのである。 - (i) 固有名→対象 - (ii) 固有名→確定記述→対象 (ラッセル) - (iii) 固有名→記述の束→同定記述→対象 (サール) 注意しなければならないのは、分析的に結びついているのは記述の束であって同定記述ではない点である。そして、この記述の束は私的でありこの中で対象を同定しうるかは記述の所有者がもつ記述の量と真偽に委ねられる。
## 固有名の意味=記述の束? ラッセルの固有名の記述説における固有名が唯一の対象を表示するプロセスは下記にようになる:
(1)固有名→(2)確定記述(同定記述)→(3)唯一の対象を表示これに対して、サールは、固有名が対象を同定するプロセスに曖昧性を加える:
(1)固有名→(2-1)記述の束→(2-2)束の中で少なくとも一つの同定記述を構成→(3)唯一の対象を表示つまり、固有名には記述の束が分析的に結びついておりこの束が固有名の意味である。しかし、記述の束が表示する対象(※7)が固有名の意味といっているのではなく、束の中の記述の組み合わせで同定記述を構成するという点も含めて記述の束が固有名の意味とするのである((2)だけを意味とするのではなく(2-1)と(2-2)を合わせて固有名の意味とする)。また、固有名の意味に曖昧性を取り入れるため、固有名の意味は不正確(imprecise)なものに留まる。 --- ## 注 ※1 ミル説(固有名はdenotationはあるがconnotationは持たない)への反論:否定性言明の問題、同一性言明の問題、固有名は記述と結びついている。 ラッセル説(固有名は記述の省略であり対象を直接指示していない)への反論:固有名に対応する確定記述を取り出すのが不可能。 ※2 クワインの「ニつのドグマ」で批判されている? ※3 なぜならば、ラッセルの記述説は、固有名には確定記述が対応する。そして、ある人がある対象に対して複数の記述を結びつけているとしたら、全て連言で繋がれて一つの確定記述としてその固有名に対応すると思われる。例えば、「Socrates」という固有名に対して複数の記述を有している人は、それに「the person who is F & G & H…」と連言で繋がれた一つの長い確定記述が対応する。そのため、この中の記述が一つでも偽だったならば全体も偽となる。 ※4 対象に詳しい人であれば、選言で繋がれる記述の数は増えていく(イ∨ロ∨ハ∨ニ∨ホ∨ヘ…)。 ※5 反対に、Aさんがその固有名を理解していない場合とは、彼が固有名に結びつけている記述の束の中の記述では同定記述を構成できない場合である。例えば、彼が(イ∨ハ)という記述の束を「ソクラテス」に結びつけている場合、ここに含まれる記述では唯一の対象を同定し得ない。 ※6 ラッセルの場合はYESであり、しかも確定記述が結びついているとする。サールの記述の束説はこの極端な理論を修正し緩和したものである。 ※7 選言で束ねられる記述が増えるほどそれらが表示する対象は際限無く増えていく。例えば、「古代ギリシア人∨毒人参を飲んで死んだ人∨哲学者」、という記述の束に当てはまる要素の数は無数である。これが固有名「ソクラテス」の意味であるはずがない。 --- ## 参考文献
First posted 2011/04/02
Last updated 2011/04/06
Last updated 2011/04/06