<< 前へ │ 次へ >>
# クリプキ「名指しと必然性」#1 指示論における可能世界の導入 クリプキの『名指しと必然性』の中心をなすのは、基本的に指示論における古典的理論(特にサールの記述の束説)への批判である。しかし、これはただの批判書にとどまらず分析哲学の一つのターニングポイントになった重要な著書(講演録)である。 ## 記述と固有名を峻別 ラッセルやサールによって形成された固有名の古典的な理論は固有名と記述を結びつける理論である(ラッセルは記述と固有名は同値であるとし、サールは固有名には記述の束が分析的に結びついているとした)。これに対して、クリプキは「必然性」と「偶然性」によってこの固有名と記述の峻別を可能にし「名前」(固有名と自然種の一般名)それ自体のカテゴリーを見出した。これを「固定指示子」という(※1)。記述と名前の峻別と固定指示子という指示論における新たな領域は、『名指しと必然性』のタイトルの通り、「名指し(指示)」に「必然性」という様相概念を基準を導入することによってもたらされる。この「必然性」は可能世界という形而上学的概念によって規定されるものであり、そのため、これを導入した新たな指示論は指示論におけるパラダイム・シフトが起こった。そして、これは形而上学排斥運動から始まった分析哲学に「形而上学的転回」をもたらした。 ## 記述の束説の形式化 クリプキは次のように記述の束説を六つのテーゼに形式化して(pp73-75)それぞれのテーゼを見直す: 1. あらゆる名前また指示表現「X」に対して、一群の諸性質、すなわちAが「φX」であると信ずるような性質φの集団が対応する。 2. それらの諸性質のうち一つが、あるいはいくつかが結合して、ある個体をただ一つだけ選び出す、とAは信じている。 3. もしφのほとんど、あるいは重要なφのほとんどが唯一の対象yによって満足されるならば、yは「X」の指示対象である。 4. もし投票が唯一の対象をもたらさないならば、「X」は指示を行わない。 5. 「もしXが存在すれば、Xはφのほとんどをもつ」という言明は、話し手によってアプリオリに知られている。 6. 「もしXが存在すれば、Xはφのほとんどをもつ」という言明は、(話し手の個人言語において)必然的真理を表している。 7. (C) 非循環条件(後述) ## テーゼ(6)の検証(必然性の規定) 最初に見直すのは(6)である。クリプキは可能世界という形而上学的な概念を導入して必然性を規定する(※2)。それによると、必然的であることとは、「全ての可能世界において真であること」であり、偶然的であることとは、「ある可能世界において真であること」である。 - **記述は対象を必然的に指示しない** ラッセルの固有名の記述説によると、固有名には確定記述が結びついている。この二つの指示子をクリプキの例を用いて、それぞれを反事実的条件法(もし~であったなら)で評価してみる:確定記述:「1970年のアメリカ大統領」ラッセルによると、「ニクソン」には「1970年のアメリカ大統領」が結びついている。しかし、「1970年のアメリカ大統領」がニクソンでなく、他の人物(例えば、ハンフリー)が大統領に当選していたという可能性(可能世界)はあるのではないか。つまり、確定記述「1970年のアメリカ大統領」は対象ニクソンを"必然的"に指示(表示)していない。 - **記述の束説の場合** サールの記述の束説ではこの反論を回避できる。つまり、サールは固有名には記述の束が分析的に結びついているとする。そのため、「1970年のアメリカ大統領」という記述はニクソンに結びついている記述の束(F∨G∨H∨...)の一つにすぎず、この記述が否定されたところで他に結びついている記述の束における記述でニクソンという唯一の対象の同定に成功するならば、「ニクソン」という固有名にニクソンという対象に関する束が結びついている、つまり、固有名と記述の関連を擁護できる。
固有名:「ニクソン」
しかし、サールの場合でも対象に関する大部分の記述が偽だったとした場合、「ニクソン」という固有名は唯一の対象を表示することができない。例えば、仮にニクソンが生まれすぐに亡くっている可能世界を想定することはできる。そのような可能世界において、我々がニクソンに帰属させるほとんど全ての記述は否定される。つまり、記述の束「F∨G∨H∨...」は対象ニクソンと"必然的"に結びついていない。また、ニクソンに関する大部分の記述が否定されたこの記述の束からはニクソンという唯一の対象を表示することはできない。
## 必然的な指示と偶然的な指示 可能世界による必然性の規定によって、テーゼ(6)は否定される。従って、指示の理論に必然性と偶然性の区別が導入されることになる。 - **非固定指示子(nonrigid designator)** 上記のように確定記述や記述の束における同定記述は、現実世界とは異なる可能世界において異なる対象を指示していると考えうるため、偶然的な指示子であることが分かる。クリプキは対象を偶然的に指示する指示子を「非固定指示子」または「偶然指示子」(accidental designator)と呼ぶ。 - **固定指示子(rigid designator)** これに対して、「ニクソン」がニクソンであるのは必然である。ニクソンが大統領選挙で敗退していようと、靴屋になっていたとしても、また、我々が彼に帰属させている諸々の記述の大部分を否定したとしても、固有名「ニクソン」はニクソンという対象を"必然的"に指示する。つまり、「ニクソン」という固有名詞は、現実世界においても全ての可能世界においても同じ対象を指示する。このように必然的に指示する(つまり、あらゆる可能世界で同一の対象を指示する)指示子を「固定指示子」と呼ぶ。このように「必然性」の可能世界による規定によって記述と固有名は区別されうる(※3)。固有名は対象を必然的に指示する。 ## 指示子のテスト 指示子を固定的か非固定的かを判断する方法として、次のものがある:
NはNでないこともありえた。この形式において、テストしたい語をNに代入する。例えば、「1970年のアメリカ大統領」を代入すると、「1970年のアメリカ大統領は、1970年のアメリカ大統領でないこともありえた」これは真である。なぜならば、前者の「1970年のアメリカ大統領」はニクソンを直接指示し、後者のそれは直接対象を指示していない記述であると考える。そうすると、「ニクソンは、1970年のアメリカ大統領でないこともありえた」と読め、そして、これは真であるからである。そのため、「1970年のアメリカ大統領」は非固定指示子である。では、このNにニクソンを代入すると、「ニクソンはニクソンでないこともありえた」となる。これは直感的に受け入れられない。ニクソンはどの可能性世界においてもニクソンである。そのため、「ニクソン」は固定指示子であると判断できる。
## まとめ 古典的理論は固有名に記述を結びつける。そして、その記述が唯一の対象(をもつ集合)を表示する。そのため、この理論は固有名が直接対象を指示しているという直接指示の理論からどんどん遠ざかる理論であった。クリプキは必然性と偶然性という可能世界によって規定された様相概念で固有名と記述を区別する。そして、固有名は固定指示子、つまり、全ての可能世界において同一の対象を直接指示している指示子であるとし素朴な直接指示の理論を復活させる。また、「可能性」という様相概念は可能世界によって規定されており、これ以降「可能世界」や「対象の本質」(※4)といった伝統的な形而上学の概念を巻き込んで議論されることになる。
上記のように必然性を規定することで古典的理論がもつテーゼの中で(6)は否定された。では、他のテーゼはどのように検証されるのだろうか。クリプキはそれを第二講義において見る。 --- ## 注 ※1 クリプキは固定指示子は「理論」ではないと言う。つまり、彼はここで理論というほど洗練されているものではないが、新たな理論的枠組を示している。 ※2 クリプキは様相論理の可能世界意味論における第一人者である。 ※3 (権利上の固定性&事実上の固定性) クリプキは固定性を二つに区別する: 権利上(de jure)の固定性:指示子の指示対象は単一の対象であると約定(stipulate)する固定性。 事実上(de facto)の固定性:記述「Fxであるような当のx」が、それぞれの可能世界で同じただ一つの対象に当てはまる述語「F」をたまたま使っている場合。 そして、クリプキは彼が本文中で使用する固定性は権利上の固定性であるとする。すなわち、「エリザベス2世」という固有名の固定性は、現実の世界における「エリザベス2世」という固有名で可能世界の人物を指すことにより両者が同一人物であると約定することによって得られる。 ※4 クリプキによると、ある人間にとって、「どの親を持ち」、「いつ生まれたか」などの条件は彼/彼女の本質をなす。そのため、この「もしエリザベス2世の父親がジョージ6世でなく他の人物だったなら」という仮定はエリザベス2世の本質を否定しているため、四辺ある三角形のようにナンセンスな命題である。 --- ## 参考文献 1. 飯田隆 (著)、『言語哲学大全〈3〉意味と様相 (下)』、 勁草書房、1995 1. ライカン, W. G. (著)・荒磯敏文ほか(翻訳)、『言語哲学―入門から中級まで』、勁草書房、2005
First posted 2011/04/17
Last updated 2011/05/01
Last updated 2011/05/01