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# クリプキ「名指しと必然性」#2 指示の古典的理論の検証 前回見た「必然・偶然」という様相概念を導入した古典的理論への批判(テーゼ(6)の否定)は、『名指しと必然性』の「第一講義」で展開され、これの中心をなすものである。そして、これ以降は他の古典的理論を構成する他のテーゼを検証し批判する。この諸テーゼをアレンジして見直す:<古典的理論>
ラッセルの記述説
固有名「a」 → 確定記述(Fx) → 対象{c}
サールの記述の束説
固有名「a」 → 記述の束(Fx∨Gx∨Hx) → 同定記述(Fx、(Gx&Hx)など) → 対象{c}
- ここで、Fxを確定記述、Gx, Hxを非確定記述とし、また、このGxとGxの連言が唯一の対象を指示する同定記述であるとする。
- 固有名はカッコつきのアルファベットの小文字「a」で表現。
- 対象はメタ言語のイタリックcで表現。
- 記述によって指示(表示)された対象は、{φ}と集合で表現。
## (1)~(5)から成る理論 前回において、テーゼ(6)が否定された。すなわち、確定記述が指示する対象が必然でないことが判明した。しかし、だからといって、必然性に関係ない他の(1)~(5)のテーゼが構成する指示の理論は依然としてある程度有効である。 [...] [現実世界における固有名に結び付けられた確定記述がその固有名に当てはまらない]可能世界について語ることができる。だが依然として、私[その固有名の使用者]の意図は、ただ一つの対象を決定する何らかの条件[確定記述や同定記述]をまず与え、次に一定の語をこの条件によって決定される対象の名前として使う、ということによって実現される。(NN, p94) クリプキは「第二講義」において、古典的理論の(2)~(5)のテーゼの検証を開始する(テーゼ(1)は定義であり、定義によって真である)。
## テーゼに(2)の検証 テーゼ(2):固有名「a」に対応する確定記述(もしくは同定記述)が唯一の対象を指示する、とAは信じている。このテーゼに対する反例をクリプキはいくつか示す。 - **非確定記述でも唯一の対象を指示する場合** 我々は日常生活において、非確定記述であっても特定の対象を指示することがある。クリプキの例だと、あるギリシャ史に詳しくない一般人が「キケロ」という固有名に「ギリシャの有名の演説家」という非確定記述を結びついているとする。これは確定記述(同定記述)ではないため唯一の対象を指示しないが、それでも、彼はキケロという対象を指示することに成功している。別の例だと、「リチャード・ファインマン」を詳しく知らない人が「物理学者かなにかだ」と言う。もちろんこの記述は唯一の対象を指示していないが、「それでも彼は「ファインマン」という名前をファインマンとして使っている、と私は思う」(NN,p96)。つまり、Aさんが使用する固有名に結びついている確定記述(同定記述)が唯一の対象を指示すると信じていない場合であっても、Aさんはその固有名を固有名として(つまり、唯一の対象を指示する表現として)使用しており、実際にそれに成功しているのである。 - **非循環条件に反する場合** また、Aさんが信じている記述が唯一の対象を指示していたとしても、非循環条件を犯している場合がある。例えば、Aさんが「キケロ」に「カティリナを最初に弾劾した人物」と結びつけているとする。この確定記述は一人の対象を指示している。しかし、また、Aさんは、「カティリナ」に「キケロに弾劾された人物」を結びつけているとする。この場合、彼は非循環条件を犯している。古典的理論においては、これは固有名と認められない。しかし、このような循環は日常生活においてよくあることであり、そして、この場合であっても唯一の対象を指示することに成功しているのである。 上記により、テーゼ(2)に反して、固有名に対応している記述が唯一の対象を指示していると我々自身が信じていなくとも、我々はそういった固有名を実際に使用しており、そして、それによる唯一の対象の指示に成功しているのである。そのため、このテーゼ(2)は否定される。
## テーゼ(3)の検証(結びついている記述が誤った対象を指示する場合) 古典的理論の支持者が言うように、固有名に確定記述なりが結びついており、そして、この記述が対象を指示するとする。しかし、この結びついている記述が誤っている場合を想定してみる。例えば、Aさんは固有名「ゲーデル」に「不完全性定理の証明者」という確定記述が結びついている(※3)。しかし、実際に不完全性定理を開発したのはゲーデルではなくシュミレットという人物であるとする(ゲーデルが提示する架空の人物)。ラッセルの記述説の場合: - (1) 固有名「ゲーデル」が「不完全性定理の証明者」という確定記述に結びついている、とAさんは信じている。 ┌────────(1)────────┐ 「ゲーデル」 → 「不完全性定理の証明者」 → {ゲーデル} - (2) 「不完全性定理の証明者」はゲーデルという唯一の対象を指示する、とAさんは信じている。 ┌───────(2)─────────┐ 「ゲーデル」 → 「不完全性定理の証明者」 → {ゲーデル} - (3) しかし、実際には、「不完全性定理の証明者」はシュミレットを指示する。 ┌─────────(3)────────┐ 「ゲーデル」 → 「不完全性定理の証明者」 → {シュミレット} このように、Aさんが信じている記述が指示する対象と実際にその記述が指示する対象が異なる場合を想定することは可能である。この場合、Aさんは、ある固有名をcという対象を指示するために使っているのだが、実際にはdという対象を指示しているということが起こりうる(信念と現実の乖離)。そのため、記述説に従うと、固有名に結びついている記述が必ずしも使用者の意図に沿う対象を指示するわけではない(※3)。 しかし、固有名の日常生活における使用は、固有名に誤った事実とは記述を結びついている場合であっても、唯一の対象の指示に成功している。例えば、上のAさんは、「ゲーデル」に例え間違った記述を結びついていようとゲーデルという対象を指示しているのである。そして、このような指示は頻繁に行われていることである。ペアノとデデキントの例、アインシュタインと原爆開発者の例、古代スカンジナビア人とコロンブスの例。
## テーゼ(4)の検証 これに対する反例は、(2)と(3)の検証ですでに触れられている。つまり、固有名が唯一の対象を指示しなかったとしてもある唯一の対象を指示する場合がある。また、固有名に結びている記述が指示する対象と固有名の使用者が意図する対象が異なっている場合があるが、その場合でも固有名の使用者は、彼が意図する対象の指示に成功している。
## テーゼ(5)の検証 私は、自分のゲーデルに関する信念は実際にただしものであり、「シュミレット」物語はただの空想にすぎない、と考えている。しかし、この信念はとてもアプリオリな知識を構成するものではない(NN, p104)。 --- ## 注 ※1 これを犯したもっとも明白な例は、固有名「ソクラテス」に確定記述「「ソクラテス」と呼ばれる男」が結び付けられている場合である。これは、この記述と固有名の関係は循環的であり、従って、この記述は消去不可能である。そして、もっと間接的であっても、もとの固有名が出現すればそれは循環的である(上記のキケロとカティリナの例のように)。 ※2 (1)と(2)が私的な領域であるのに対して、(3)は客観的な領域であると思われる。 ※3 この例は、認識論におけるゲティアー問題と関連しているかもしれない:
- 「Aさんは、ゲーデルが不完全性定理は証明したこと、また、ゲーデルのポケットに10枚の硬貨が入っていること」、を信じており、また、その信念は正当化されているとする。
- この信念から「不完全性定理を証明した者は、ポケットに10枚の硬貨を持っている」と演繹してこれを信じており、そして、この信念は正当化されている。
- しかし、不完全性定理を発見したのはシュミレットという人物であるとする。かつ、彼のポケットに10枚硬貨をもっていた。
First posted 2011/04/17
Last updated 2011/04/25
Last updated 2011/04/25