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唯物論まとめ

二元論と対となる立場は一元論であるが、一元論の中には「この世には心しか存在しない」とする、観念論・独我論も含まれる。しかし観念論は自然化の傾向が顕著である分析哲学の心の哲学では中心的に扱われることは少ない。そのため、ここでは観念論は省略し、外的な存在物を無条件で認めあらゆる現象はそれの副産物だとする唯物論を中心に見てゆきたい。

行動主義 Behaviourism(Ryle, late Wittgenstein)

行動主義は方法論的行動主義(Methodological Behaviourism)と論理的行動主義(Logical Behaviourism)に分けられる。前者は、行動という観察可能で客観的な要素によって心理学に基礎付けを与える運動として起こったものである。つまりこれは行動という科学的、客観的に検証可能なものを対象としており、デカルトが言うような心的物質というものは研究対象として不適切であり排除する。後者は、哲学の間で広がった行動主義であり、これによると心身間の因果関係という点でデカルトを非難せず論理的な間違いを指摘することによってデカルト的二元論を非難した。つまりG.ライルによると、デカルトの主張する心とは物質の亜種(Ghost in the Machine)であるとするが、彼によると心とは単なる傾向性であるという。つまり、デカルトは心をなにか別の物質にしてしまうというカテゴリー錯誤(category mistake)をおかしたという。そしてそれらのカテゴリーを統一し唯物論に移行することによって現代の心の哲学が始まることになる。

批判

行動主義は唯物論初期の理論であり、心とは身体の行動に過ぎないと主張。また心的なものを構成する身体の行動のほかには何も存在しないとする。しかし行動主義は全体論的で人間の行動は様々な要因が重なり合っているという観点から様々は反論を受ける:

  • 批判1 知覚経験や痛みのような経験は明らかに生じている出来事であって行動や行動への傾向性で説明するのは難しい。
  • 批判2 欲求といった心的状態を循環論法に陥らず行動で解決するのは困難である。
  • 批判3 考えても行動しない場合もあるため思考が行動に直接関係しない場合もある。

心脳同一説 Mind-Brain Identity Theory(Place, Smart, Figle)

行動主義に変わって1960年代に活発となったのは心的状態を脳の神経細胞の働きに帰結した同一説である。同一説とこの説は最初過激な立場をとるタイプ同 一説として出現したのだが、困難は問題点が指摘される。そして次にそれよりも主張を弱めタイプ同一説の問題点を回避できるトークン同一説が提案される。

タイプ同一説 Type Identity theory

これによると全ての心の働きは脳の中の神経(c-fiber)の物理的働きと同一であるという。これによると様々な状態で経験する痛みという心的状態はそれぞれ皆同一の脳内の働きであるという。しかしこれもまた批判を多く持つ:

  • 批判1 もしこの理論が同一性に基づいているのならば、それらの同一性を明確にする二つの性質があるはずである。例えば、「水はH2Oだ」といった命題の同一性を見るに当たって「水」、「H2O」という二つの観点からそれぞれの性質を見ていかなければならない。しかし、これと同じように「痛みは特定の脳の状態だ」という命題も「痛み」と「脳の状態」という二つの観点から見てみると、それら二つは明らかにの異なる性質に分けられる。それらは即ち心的な性質と物的な性質である。これは性質二言論に逆戻りしてしまうことを示す。
  • 批判2 物質的なものの構成原理が因果性。心的亜物の構成原理は合理性もしくは規範的である(信念のような心的なものには真/偽、合理/不合理といった概念が存在するが物質的なものにはない。よって、心的なものの領域においては厳密な因果法則は成立せず、心的なものをつなぐ厳密な法則もありえない。心的≠物質的。そして心を物質に還元することもできない。
  • 批判3 この理論によると、ある心的状態は脳内の作用と完全に同一(例えば、痛みはc-fiberの刺激と同一)であるとするので、脳の運動以外の感覚原因を認めないということになる(Multiple Realizabilityの否定)。よって我々と同じニューロンを持たない、例えば、異性人やシリコンなどの他物質で精巧に作られた人工脳であっても痛みという感覚を一切認めないと言うことになる。(ニューロン狂信主義)

トークン同一説 Token Identity Theory

タイプ同一説では「全ての心的状態のタイプは、何らか脳状態のタイプと同一である」とったものであったが、これでは重大な問題を多く持っているので、その主張を若干弱めそれらの問題点(特にニューロン狂信主義)を回避するたトークン同一説に移行する。これによれば、痛みの経験のいかなるトークンも何らかの脳状態タイプのトークンでなければならない。しかし、必ずしも同じ脳状態タイプのトークンでなくてもよい(Multiple Realizabilityの容認)。従って、ある痛みも経験のトークンはC-fiberの興奮あるトークンだが、別の痛みの経験のトークンはある人造神経線維の興奮あるトークンであってもよい。しかし、これもまた問題に直面してる。それは、例えば、「痛み」という心的状態の全てのトークンに共通しているものは何か?つまりそれらのトークンを同一の心的状態のタイプに属すトークンにしているのはなんなのか?という問題である。

機能主義 Functionalism/Reductive Physicalism(Putnam, Lewis, Armstrong)

上記のトークン同一説の問題を対処する過程で機能主義が提案された。それは心の哲学史上もっとも合理的であり刺激的なものであった。つまりそれは、脳状態のトークンを心的状態にするのは、脳内神経がとるあるタイプの機能であるとする理論だ。機能主義も分派が存在し、脳の機能の仕組みを心理学か神経生物学にゆだね、哲学では脳をブラックボックスとしてとり合えず扱っておくとする「ブラックボックス機能主義」と、脳にとっての心的状態とはハードフェアにとってのプログラムの働きだとする「コンピュータ機能主義」がある。後者によると痛みという心的現象は脳内で機能するプログラムであるという。またそれを実行するのは必ずしも脳である必要はなく、コンピュータや人口代替脳などのほかの可能性を認める(Multiple Realizabilityの容認)。

                      一元論                 ┌────┴─────┐                唯物論           観念論                 │          ┌────┴─────────────┐        物理主義                       行動主義          │                     ┌────┴─────┐      心脳同一説                  方法的          論理的 ┌────┴─────┐ タイプ同一説      トークン同一説                   │                 機能主義


参考文献

First posted   2007/05/17
Last updated  2011/03/04

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