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# 近代哲学史#2 大陸合理主義 ## 近代哲学の開始 17世紀に入り近代哲学はデカルト以降本格化する。近代哲学は大きく二つに分けられる。デカルト、スピノザ、ライプニッツを代表とする大陸合理主義と、ロック、バークリー、ヒュームを代表とするイギリス経験主義である。前者はその名のとおり、人間の意識の中には先天的(アプリオリ)な判断が備わっているとする合理的-演繹的哲学で、後者は、そのようなアプリオリな判断は存在せず、あらゆる認識は経験(アポステリオリ)によって始まるとする経験論的-帰納的哲学である。 --- ### デカルト(Rene Descartes, 1596-1650) デカルトは自分が今所持する知識を全て疑うという方法論的懐疑により、自分自身は疑えないことを発見する。これは`我思う故に我あり (cogito ergo sum)`といった有名なフレーズであらわされる。また、その発見した確かなコギトの中に完全な神の観念が生得的(idea innate)に内在していることを見出し、神の誠実に頼り、世界の確実性を回復する。加えて、デカルトは明確な二元論者で、この心身問題や主客問題といった難解なアポリアは彼以降西洋哲学の主要問題となる。しかし、彼が哲学を客観的なものから主観的なものに据えることで、近代哲学は始まることになる。 またデカルトは数学者としても有名でデカルト座標の発案者である。この座標の発明によって幾何学的対象が数式で表現できるようになる。これで幾何と数を統合することが可能になった。
  • 著作
  • 『方法序説』Le Discours de la méthode (1637)
  • 『省察』Meditationes de prima philosophia (1641)
--- ### ガッサンディ(Pierre Gassendi, 1592-1655) 彼はデカルトのコギトつまり、「我思う故に我あり」という命題に反論する。というのもこの手順で行けば、思考に限らずあらゆる人間の活動から存在が帰結されうるからである。例えば「我散歩す故に我在り」といったことも成り立つと彼は言うが、しかし、デカルトがいうのは絶対確実な行為は思考以外ないので、これは適切な反論ではない。 --- ### ゲーリンクス(Arnold Geulincx, 1624-1669) デカルト学派のゲーリンクスはデカルトが残した心身問題に取り組み、それに整合性を与えようとした。心は肉体に作用せず、肉体も心に作用しないと考える。ではなぜ、我々の心身はこうまで密接に結合しているように感じるのか。このシンクロはどこからくるのか。また、心身の相関関係がないとするれば、我々にできることはただ思考することのみになる。しかし、感覚や世界の事物に対する直感もまた、身体の感覚機能を介して心に伝達されるため、心身の相互関係がないのならが、そうのように情報も得ることは不可能と考えなければならない。そこでゲーリンクスは心身関係を保っているのは神の意志によるものだとする`機会原因論(Occasionalisme)`を主張する。つまり、神が我々の意志を機会とし、我の身体を動かすという。しかし、機会原因論は心身関係をそのつど神が調整している機械仕掛けの神(Deus ex machina)に頼らなければならない。 --- ### マールブランシュ(Nicolas de Malebranche, 1638-1715) 彼もまた、デカルト主義者でデカルトの心身二元論をおし進める。精神は概観の観念を得ることはできないし、自らそれを生み出す能力もない。よって、彼が言うには、それらは万物を含む神が仲介役となっているとしか考えられない。なぜなら、神は精神的実体も物質的実体も内包しており、また、我々自身、神と密接に結びついている(神は「諸精神の場所」)。つまり、我々は、全ての事物を神を通して感覚しているのである。デカルトを擁護したゲーリンクスと同じように、マールブランシュも結局神に心身の仲介役を依頼している(機会原因論)。これにより、デカルトのような実体二元論を擁護するには、いっそう超越的存在や奇蹟などに頼らなくてはならないことが決定的になり始める。
  • 著作
  • 『真理の探究』De la recherche de la vérité (1674)
--- ### スピノザ(Baruch de Spinoza, 1632-1677) デカルトのように心身をともに異なった実体であるとすると論理的矛盾を生み出し、整合性を保つには神の概念に頼らざるを得なくなる。これに対して、スピノザはデカルトの実体の概念(それ自体で存在する対象)を突き詰めて実体一元論に至る。そして、神が唯一の実体で、精神も事物も神の偶有性であるとする。 形而上学 彼はデカルトの実体の定義を厳密に捉え、実体は神以外ありえないと結論する。`実体即神(substantia sive Deus)`。そして、神が実体として超越的でない次元に存在し、また存在する万物が自然であるとするならば、神は自然と同一である`神即自然(Deus sive natura)`。つまり、スピノザは実体=神=自然と考え、典型的な汎神論の立場に立つ。
そして、その実体はその本質的な性質として、「属性」(attributum)を持つ。実体(神)は無限なので、無限の属性を持つが、人間が認識できるのは「思惟」(cogitatio)と「延長」(extensio)の二つに過ぎない。このように、デカルトはこの二つを異なった実体と考えたが、スピノザはひとつの実体の異なった属性と考える。このことから、心身は異なり並行的な関係であるが、それらは同一の実体の異なった形式における現われである。これにより、心身問題にひとつの解決をもたらす。これは現在では属性二元論と呼ばれる。 [スピノザの哲学#1]() 実践哲学 スピノザは決定論者であり、自由意志を否定した。なぜなら人間の魂は実体の様態であり、可変的、偶然的である。そのため、それは自由ではなく、全てが決定された不自由な存在であるからだ。しかし、人間には`自己保存の欲求(conatus)`があり、これが人間を知性による認識へと導く。そして、得られる真の認識は自らが神のうちにあるということを「永遠の相のもとに」(sub specie aeternitas)認識することである。このように神を知ることによって`神に対する愛(amor dei intellectualis)`が生じ善へと導く。[スピノザ #3]()
  • 著作
  • 『デカルト論』Renati Des-Cartes Principia philosophiae (1663)
  • 『神学-政治論』Tractatus Theologico-Politicus (1670)
  • 『倫理学(エティカ)』Ethica: Ordine Geometrico Demonstrata (1665)
--- ### ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646-1716) ライプニッツもまた原点をデカルトとするが、同じように出発し実体をただのひとつとしたスピノザとは対照的に、彼は他に依存しない複数(無数)の実体を認め、それを`モナド(monad)`と呼んだ。 モナド デカルトは自然と数学の対象としたが、そうすると自然科学と数学の区別が曖昧になる。この問題に対して、ライプッツはモナド(単子)という観念を自然の理解に用いる。モナドは実体の考察における論理的な帰結(スピノザとは真逆の結論)である。つまり、物体は諸部分からなっているのであれば、それを構成する単純な実体がなくてはならない。しかし、それが物体であれば諸部分からなることになる(無限後退)。そのため、モナドはアトム(原子)とは異なり延長を持たず「能動的な力」(vis activa)を本質として存在する”形而上学的点”である。
彼によると、モナドは過去・現在・未来に渡る全ての世界の表象が含まれている。また、人間精神は一つのモナドであるため、人間は自己内省によって原理的には全宇宙の情報を知ることができる。しかし、その情報へ至るまでが「無限」に複雑なため、実際には、自然科学の経験的な手法によって探求する。 予定調和(harmonie préétablie) モナドはお互いに影響せず、独立した存在であるため`モナドに窓はない`といわれる。しかし、関係をもたないにもかかわらず、それぞれのモナドが、お互い関係を持っているかのように調和を保っているのは、神があらかじめ、モナド相関関係を定めたからであるとする。これを「予定調和」という。これにより、二元論の心身問題を解決することができる。つまり、機会原因論では「機械仕掛けの神」に頼らなければならなかったが、「予定調和」は神があらかじめ全てを定めたのだから、お互い並行関係でありながら、すべてが一致しているようにみえる(`心身並行論`)。そして、全知全能の神が選んだこの世界は、最善の世界であるとライプニッツはいう(`最善観(optimisme)`)。 理性の真理と事実の真理 ライプニッツは真理を2つの種類に分ける。一つは「理性の真理」、もう一つは「事実の真理」である。前者は数学や論理学の必然的真理である。これに対して、後者の真理は「今雨が降っている」などの真理であり、これが例え否定されたとしても論理的な矛盾をもたらさないような真理である。この区別は後のカントの分析判断と総合判断の区別に受け継がれ、現代哲学でも扱われる。
  • 著作
  • 『固体の原理について』De Principio Individui (1663)
  • 『形而上学序説』Discours de métaphysique (1686)
  • 『単子論(モナドロジー)』Monadologie (1714)
--- ### ヴォルフ(Christian Wolff, 1679-1754) 彼の弟子のビルフィンガー(G. B. Bilfinger)がライプニッツ=ヴォルフ学派と称するように、ヴォルフはライプニッツ哲学に同調し、体系的に発展させた。 --- ## 参考文献 1. ウィル・バッキンガム (著)・小須田健(翻訳)、『哲学大図鑑』、三省堂、2012 1. 大橋良介 (編集)、『ドイツ観念論を学ぶ人のために』、世界思想社、2005 1. 岡崎文明ほか (著)、『西洋哲学史 理性の運命と可能性』、講談社、1997
First posted   2008/10/03
Last updated  2012/03/19
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