<< 前へ │ 次へ >>
# カント「純粋理性批判」#3-2 超越論的分析論(図式論) ## 原則の分析論 前回の演繹論で、アプリオリな綜合判断に関する応答は済んだ。それは、認識とはカテゴリーが直観に適用されるため成立するというものだった。しかし、悟性と感性は二元論的な対立関係にあるのに、悟性はどのように直観に働きかけることができるのだろうか。カントは原則の分析論において具体的にどのようにカテゴリーが直観に適用される過程を究明する。これが原則の分析論における`図式論([独]Schematismus)`と呼ばれる部分である。端的に言えば、図式論において、図式という概念を導入して演繹論を詳細に見直す(\*1)。 ## 悟性と感性の橋渡し 悟性と感性という異なる表象を結合するにはそれらを媒介する`媒介的表象([独]vermittelnde Vorstellung)`が必要である。つまり、それは、悟性と感性の橋渡しをし、二元論を統一する要素である。それを`超越論的図式([独]transzendentales Schema)`という。この超越論的図式は、異なる二つの領域を媒介するため、悟性と感性の両方の性質を備える。 ## 図式([独]Schema) 超越論的図式の前にまず個々の概念の図式を概観する。例えば、我々は三角形を思い浮かべることができるが、この三角形は構想力が直観を一つの像に形作ったもの(形象)であって、決して、三角形の概念ではない(概念と形象は時空を持つか否かで分けられる)。三角形の概念はすべての三角形を規定する普遍性である。三角形の形象が与えられるとき、それは三角形という概念の「図式」に従ったものでなければならない。カントによると図式とは、「概念にその形象(Bild)を与える構想力の一般的なはたらき方の表象」(B179-180)である。つまり、その三角形の概念はある規則に従った産出的構想力によって総合されたものでなければならない。この構想力の総合の規則が図式である。現象の直観(この時点ではまだカオス的多様)## 超越論的図式([独]transzendentale Schema) そして、この図式はどのようにもたらされるかという問題があるが、これもまた産出的構想力の所産である。「形像は産出的構想力の経験的能力の所産であり、感性的概念(空間における図形としての)の図式は先天的純粋構想力の所産で、いわばそれを通してまたそれにしたがって形像が初めて可能となるような`略図(Monogramm)`である」(A141)。
(模型の材料がバラバラに与えられる)
↓
三角形という概念の図式に従って産出的構想力が直観を総合する(感性と悟性・直観と概念を結ぶ)
(設計図に従って構想力が模型を造る)
↓
その図式が表象される
(設計図に従って作った模型がその図面どおり表象される)
↓
三角形の形象を得る(直観の対象が概念に包摂される)
(バラバラだった材料が秩序だった模型になる)
産出的構想力の経験的能力→形象そして、図式を生み出す(超越論的純粋)構想力はカテゴリーに従ったものであるのは以前概観した。そのため、個々の図式の下にはカテゴリーと密接に結びついたさらに根本的な図式があらねばならない。これが超越論的図式である[2, p190]。例えば、上でみた三角形の図式や他にも四角形の図式や五角形の図式の根本には量のカテゴリーがあり、このカテゴリーと密接なのは「量のカテゴリーの図式」が存在する。
超越論的純粋構想力→図式
(超越論的純粋)産出的構想力## 超越論的時間規定([独]transzendentale Zeitbestimmung) カテゴリーに従う(超越論的)産出的構想力がカテゴリーを超越論的図式に移しかえる。言い換えれば、カテゴリーは直観の形式を与えられていわば「感性化」させられる。この作業によって悟性を感性に適用することが可能になるのである。では、カテゴリーに与えられる直観形式とはなにか。それは、「時間」である。時間は直観を成り立たせる根底でありあらゆる直感的形象の前提である(直観に与えられたアプリオリな形式は時間と空間だが、空間はこれを前提としなくても成立しえる形象もあるため、時間がもっとも根本的で重要視される)。このカテゴリーに時間という直観形式を与えることを「超越論的時間規定」という。そして、この時間規定によって感性化したカテゴリーが超越論的図式なのである。これによってカテゴリー(悟性)は時間(感性)を与えられて成立する超越論的図式はこの二つの異なる性質を備え二つを媒介するのである。
↓
カテゴリーと密接に結びついた超越論的図式(量のカテゴリーなど)
↓
産出的構想力
↓
個々の概念の図式
×カテゴリー(悟性)→現象(感性)カテゴリーに対応する超越論的図式 カテゴリーには論理学から4つの種類にまとめられているのはすでに見た。それはすなわち、量、質、関係、様相である。これらを感性化(時間規定)するとどのような超越論的図式になるのか。 |カテゴリー|超越論的図式| |:--|:--| |量|時間系列(Zeitreihe)・数(Zahl)| |質|時間の内容(Zeitinhalt)| |関係|時間の順序(Zeitordnung)| |様相|時間の総括(Zeitinbegriff)| ## 図式論に対する批判 図式論において、悟性と感性を媒介する図式は、産出的構想力の所産であるとされ、そして、産出的構想力は悟性でも感性でもない第三の能力として描かれる。つまり、カテゴリーに超越論的時間規定を加えるもっとも根源的な構想力(超越論的純粋構想力)はそれ自体で独立していなければない(仮に図式論における最も根源的な構想力も悟性に従属するものとするならば、カテゴリーに従う構想力がカテゴリーを規定(超越論的時間規定)して図式を総合するという循環論法か無限後退に恐らく陥る)。 第一版においては構想力を第三の能力としてカントは(無自覚的に)認めているため、図式論がでてきても不思議ではないが、第二版の演繹論において、産出的構想力は悟性の能力の一部であるであるとされる。そのため、第二版の演繹論と図式論には齟齬が生じてしまう。 ここで図式とカテゴリーを別のものとするのでなく同一のものであると考えるならば整合性は保たれる。しかし、図式とカテゴリーを同一のものとすると演繹論となんらかわらなくなる。そういった意味で図式論は不要である。図式論において図式とカテゴリーは別のものとするのは、ここにカントの二元論(直観が対象をもたらし悟性がそれを恣意するという古典的二元論)への執着があるとの指摘もある。「われわれはここに、カントがその出発点たる悟性と感性の二元論的立場を実質的には克服しながら、なおそれを捨て切れ得なかったと考え得るのではないだろうか」[2, p.197]。 --- ## 注
悟性と感性には二元論的対立があり直接関係することはできない。
○カテゴリー→カテゴリーの超越論的時間規定による感性化(図式)→現象(感性)にカテゴリーを適用
図式が悟性と感性を媒介してカテゴリーを感性に適用することが可能になる。
また、このカテゴリーの超越論的時間規定と図式を形象に適用するのは構想力である。
- \*1. 第一版と第二版における構想力の捉え方でこの図式論の捉え方も変わってくる。議論は非常に錯綜してるが、基本的に演繹論を繰り返しつつ詳細に論じるものという理解でいいかと思われが、クリアに理解できていない。
First posted 2010/11/02
Last updated 2010/11/02
Last updated 2010/11/02