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# カント「純粋理性批判」#4-1 超越論的弁証論 ## 超越論的弁証論(Transzendentale Dialektik) アプリオリな認識判断を構成するアプリオリな形式は、感性においても悟性においても見出された。これらを考慮しカントは次に、伝統的な形而上学が扱ってきた諸問題を否定的に吟味する。ここでカントは、超越論的論理学の第二部門をなす超越論的弁証法を「仮象の論理学」と称し、「仮象」(すなわち一見真理であるが実際はもっともらしいだけの誤り)を対象とする論理学とする。そして、超越論的弁証論は人間の第三の能力である`理性(Vernunft)`に関する能力を探求する。順番としては超越論的仮象とそれの原因である理性について論じ、次に純粋理性概念である理念と、理性の弁証的推理について語る。そして最後にその三つの弁証的推理(パラロギスムス、アンチノミー、イデアル)を批判的に吟味する。 --- ## 超越論的仮象(Transzendentaler Schein) まず、超越論的仮象の前に経験的仮象と論理的仮象をみてみる。経験的仮象とは感覚がもたらす錯覚からくるものである。例えば、水の中のオールは歪んで見えるといったものである。そして、論理的仮象は、単純に不注意や計算ミスから導き出された結論のようなもので見直せばすぐに消滅する。しかし、先験的仮象はこの二つとは異なり、主観にアプリオリに内在する原理がもたらすため、その仮象を防ぐことも経験によってそれを修正することもできない。そして、その仮象を生み出す原因となる能力「理性」である。 ### ・理性と理念(Vernunft und Idee) 分析論で見たように「悟性」は判断の能力であり、そのうちにカテゴリー(純粋悟性概念)が内在し、また感性がもたらす世界の直観を加工することで(制限を加えることで)カオス的多様を意味のある理解可能な対象(現象)にするということを見た。違う言い方をすれば、カテゴリーは経験が成立するための制約としての意味を持っている。またそのため、悟性は制約された認識能力である。 これに対し、「理性」は、推論の能力であり、制限がない。そして、カントによると、そのために、理性は「先験的仮象の座」(仮象の原因)であるという。理性は`原理の能力(vermögen der Prinzipien)`と特徴付けられる(悟性は「規則の能力」)。原理とは「概念に由来する総合的認識」であって、あらゆる認識の大前提となるのものである(例えば、$\{A →B,A\} \vdash B$といった論証の場合$A→B$が大前提で原理)。理性はこの原理を探求する(推論によって?)。しかし、理性は悟性のように何かしらに制限された能力ではないため、無制約的に原理の原理を求めることが可能である。そして、その探求は現象の世界を超えて`絶対者(Das Unbedingte)`が見出されるまで続く。無制約者の概念は経験によってもたらされず、また制約をその本性とするカテゴリーとは別物である。そのため、それは理性のうちに備わっている概念でなければならない。その純粋理性概念を`(超越論的)理念(Idee)`と称す(\*1)。 しかし、その見出された無制約者は我々が経験において見出される制約的な対象に適応することは不可能である。そのため、この無制約者を`超越的(transzendent)`なものに適応しようとする(理性の越境)。このような、度を越えた適用が生み出した幻想もしくは錯覚を「超越論的仮象」と呼ぶ。伝統的に理性はずっと真理の基準であり源泉であるとされてきた。しかし、ここでカントは理性が仮象と誤謬の源泉であるという。カントは超越論的弁証法によって、この「仮象」を暴き、伝統的形而上学の主題としているものを批判する。 --- ## 理性の弁証的推理 では、理念はどのようなものだろうか。理性は推理の能力であった。そのためカントは理念(無制約者)を理性推理(三段論法)の三つの形式から導き出そうとする(\*2)。それは、(1)定言、(2)仮言、(3)選言的理性推理の三つである(\*3)。そして、それぞれの理性推論から導き出される理念は、 (1)からは思惟実体としての魂の理念、 (2)からは現象の総括そしての世界の理念、そして、 (3)からは最高存在としての神の理念である。 そして、カントによれば、これらの理念は、本来理性の推論能力によってもたらされたものであるはずだが、伝統的形而上学(合理的心理学、合理的宇宙論、合理的神学)においてまるで、まるで客観的な実在であるかのように扱われてきた問題である。 この三つの理念から三つの超越論的仮象が生じる。それは: 1. それ自身述語となりえない主語を求めて思惟的主観の絶対的統一へ推理するとき(誤謬推論) 2. それ以外何ものをも前提しない前提を求めて現象の系列の制約の絶対的統一へ推理するとき(二律背反) 3. それ以上いかなる概念の下にも立たない類を求めて思惟一般のあらゆる対象の絶対的統一へ推理するとき(理想)(理性推理) | (理念) | (超越論的仮象) | (仮象に関する議論) | |
(1) | 定言的理性推理 | 魂の理念 | 心理学的仮象 | 誤謬推理(パラロギスムス) |
(2) | 仮言的理性推理 | 世界の理念 | 世界論的仮象 | 二律背反(アンチノミー) |
(3) | 選言的理性推理 | 神の理念 | 神学的仮象 | 理想(イデアル) |
First posted 2008/10/30
Last updated 2011/03/04
Last updated 2011/03/04
(仮言的理性推理) pならqである。 pである。 よってqである。
(選言的理性推理) Aはbであるかcであるかのいずれかである。 Aはbである。 よってAはcではない。